心のスケッチ  佐々木大記

真理探求の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学を現在制作中。近々電子書籍で第一話を発表予定。(2019.09.27)

本物の感化力 映画『世界から希望が消えたなら。』

「与えられた命を使命のために使い切りたい」ていうようなセリフがあったが、自分も同じ気持ちを持っている。
他の人の口から聞いて、こういう考え方って一般的ではないんだよなと再認識する瞬間だった。


昨日久しぶりに従兄弟に会って話していて、仕事の話になったのだが、会社勤めがどういうもんだったかを思い出して、「そんなことに自分の時間を絶対に割きたくない」みたいなことを口走っていた。


心底思うのだ。
与えられた時間をきちんと生かすことなく、ただ目の前にきた仕事になんとなく捧げてしまってはいけないと。
たとえ、不本意な仕事であったとしても、自分を充分に生かせる仕事ではなかったとしても、その先に自分の命の使い道へとつながる目的意識を自分のなかに持てていなかったら、なにか「申し訳ない」っていう感じがしてならないのだ。
せっかく頂いたこの人生、この時間をほんとうにこんなことに捧げてしまって良いのかと、いう感じ、時間に対する「責任の重み」を年々強く感じるようになってきている。


今、ちょうど生計を立てるための仕事を見つけようとしていて、いろいろなやり方を検討してはいるのだが、やっぱりどうしても「時間を無駄にしたくない」というこだわりが一番にくる。
そこをなんとか耐え忍んで、方便的な経験に耐えて、後々の活躍に繋げよう、なんて発想もなくはないが。。。


昨日の従兄弟との会話
映画『世界から希望が消えたなら。』の主人公の人生の選択
自分自身のここ数年間の歩みというものを考えれば考えるほどに、今自分が「すべきこと」に一身を投じていかなければ、嘘だよなって思うし、実際にそういう形を一時的に作って、今はやるべきだと思うことだけをやってみている。
片手間でやり続けるのとはやはり違って、本来こうあるべきという形を一時的にでも疑似体験してみて「これしかない」って強く感じている。
これから先どういう選択をするのだろう。
自分でも分かっていないけれど、絶対に自分のやるべきことにすべてを投じていけるような体制を作り上げなくてはならないという自覚が飛躍的に高くなってきている。
でも、なんか無理やりそういう道を切り拓いて行けるんじゃないかという根拠のない感覚が今自分の中にある。


映画を見たからだ。
あの映画では、使命感一つで死をも跳ね返す主人公の「不動の信念」が、演技ではなく、本当に再現されているんじゃないだろうか。
だから心に伝わるものが確かにあって、実際にその信念のエネルギーが自分の心のなかで働き始めているのだと思う。
あの主人公の信念のセリフの一つ一つが、普通の縁起で語られていたら、たぶんもっと陳腐に聞こえているはずなんだけど、100%を超えた確信というか、自分の意志と言葉が法則を作るんだっていうくらいの圧倒的な創造力で放たれているような感じがするので、説得力や真実味がもの凄い出ているんだと思う。
ああいう確信波動というか、創造のパワーがセリフで出ているって、普通あり得ないことなので、本当に感化されて自分がこれから変わっていけるんだと思う。
うん。
あれは、確信を越えて創造になっている。
しかも、映画の衝撃でちょっと忘れかけてたけど、そういえばこれ実話だしな。。。


理屈を超えて「信じ切る」ってこういうことなんだって教えて貰えている感じがする。
うーんすごいな。
すごい。
自分の信念の力でなんだってできるようになって行けるんじゃないかって感じがする。
これはいよいよすごいことになってきた予感ですよ。

神様とすれ違う映画『世界から希望が消えたなら。』

「出る」とは聞いていたけれど、ストーリーに引き込まれていましたので、普通に新鮮な気持で驚けました。


先生が通り過ぎるあのシーンが最も印象に残っている。
あのシーンというより、あの瞬間だけ本当に主とすれ違って、気が付いたらまた映画の続きを見ていたというのが正しい認識なのだと感じている。
「幸福の神様」に出会ってしまったっていう感覚がすごくある。
映画は映画でちょっと別の感想にすべきで、神様とすれ違った衝撃に限ってまずは書き残しておこう。


たぶん二回目以降は「ここ」って分かってしまっているし、どんな感じで来るって分かっちゃっているから、初めてすれ違った今のうちに、その余韻を文字に残しておきたい。


ほんの数秒の出来事だった。
すごく爽やかで、ものすごく豊かで温かい、大きな風が通り過ぎた。
人によって違った余韻があるのかもしれないけど、「豊かさ」の光そのもの。
「福の神に出会ってしまった」という印象。
すっごく良いことがこれから起きてきてもおかしくない感じがする。
普段絶対出会うことができない「神様」っていう感じ。


これはとてもありがたい体験なのではないだろうか。


だって、あんな自然な形での先生の姿をあんな巨大スクリーンで繰り広げられている、物語、そう、ストーリーが良かったのだ。
宇宙の法のときと僕の魔法はのときは必ず毎回寝てて数回観てトータルで理解してたんだけど、今回全然眠くならなかった。
くらいしっかり没入しているときに現れますので、心の中に完全に入ってしまった。
良いんですか?っていうくらいありがたいことで、今も心の中にいる。
これすごいことなんじゃないかな。



今更だけどちゃんと正心宝つけて、ある程度こぎれいな服装で行ってよかった。


けっして大げさに誇張してはいない。
自分と違ってもっと霊的な人であればもっとすごいものを感じているんじゃないだろうか。
うーん
ちょっと表現しきれない。
一言で良いか。



「幸せ」


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「盗」の夢

へんな夢を見た。


セミナー講師のような雰囲気のおじさんが女の人に「盗み」を教える夢だった。
女の人はごく普通の善良な人なんだけど、おじさんの話術かなんかにすっかり洗脳されているのか、なんの悪気もなく何かを盗もうとしている。
楽しい音楽に合わせて踊りながら、まずはカーテンを閉める。
カーテンを閉めたら今度はなぜか脱ぎだして乱れ始める。


そんな感じの夢。
彼らは日の当たる場所が苦手なんだと思うが、人目につかなければOKっていう教義を持っているらしい。
人との関り、社会性を持つということ自体とても大切なことで、こういう悪霊から自分を守る力になるのだと思う。
また、「人目につかないところでの言動」にやましいものを持っていることも、彼らを呼び寄せる要因となるのだろう。
反省点というか、常日頃の警戒ポイントとして持っておこう。


二日前から寝てるときに悪しきものが夢の中へ侵入してくるというのが続いている。
少しピリッとしないといかんなと思う。

常に仏陀と共に歩め

瞑想参考資料
経典『大悟の法』
第5章 常に仏陀と共に歩め




■真実の自分(人間の心)とは
・肉体と等身大の形状を持った霊的存在(形を取って現れるもの・魂)
・法則としての存在(形のない精神作用)


■死後の霊的認識の変化
・最初⇒肉体と同じような姿を取る
・数年後⇒それ(肉体的形状)がほんとうの姿ではなく、心としてのみ存在するようになる
あの世での「個性」とは、その人の姿や形状ではなく、心の傾向性や特徴。
(形はどのようにでも変化していくものなので、判断基準にならない)


霊体=形状
心=意識の働き・精神作用




■瞑想
 内なる自己を見つめる
⇒仏や神と対話する
⇒仏や神と一体化する・・・【入我我入】心に仏を思い浮かべ、心のなかから三次元的な波動をどんどん落としていくことで、仏との一体感を味わう。
⇒仏との一体感の中で二種類の自分をえり分ける
①肉体的認識によってつくってきた、肉体としての自分が生きやすいような選び方をする傾向性。
②それ以外の「真実の純金の部分」。金色に光っている部分
⇒自分の心の中の「純金の部分を見出した目」によって、他の人の心のなかにある純金の部分も見えてくる。
⇒「純金性」において自と他、自と仏、仏と他の関係、つながっている世界がみえてくる。=性質としての平等性【平等性智の目覚め】
 さらに心のなかの内なる目を凝らしてじっと見ていく
⇒動植物のなかにも金色の部分、心があることがよく見えてくる。
・動物の心の動き
・植物の考えや気持ち
・遠隔地の人の考えていること、思っていること


 自分の内のほうへ深く入っていく
⇒無限の宇宙へ伸びている道へ
⇒無限の宇宙から各人のなかへとつながっている道へ



■悟った人の特徴
どのように心のチャンネルを合わせていくか、自由にコントロールできる
 ・自分の心が今どういう状態か分かる
 ・自分の心の時間縁起を自己認識できる
 (どんな原因でこういう結果になっていて、どんなふうに考えれば今後こうなっていく)
 ・自分の心の作用(時間縁起)がおよぼす影響(空間縁起)を自己認識できる
 (他人への影響・世界への影響・霊界への影響)


■天上界の次元の壁
平和な心=不動の心
一定のレベル以上、心の平和を維持する能力があると相応の次元にとどまることができる。
 ・反省・瞑想・祈りによって心の平和をまず取り戻す
 ・常に心静かな心境を維持する
 ・自と他、世界、宇宙を貫く関係をじっと見つめる
 【生身解脱】生きながらにして如来、菩薩の安らぎの状態に入ること。肉体を持ちながら涅槃の境地に入ること。
  【涅槃】肉体煩悩、悪しき精神作用を吹き消した状態。非常に静かな状態。
  涅槃の境地を求めるのが瞑想
高次元世界と同通できる心を作る
・深い瞑想に入っていき、この世的さざ波が消え、神仏と一体の状態になる
⇒心の安らぎ
⇒温かい光が体の中に入ってくる
⇒輝く光が見えてくる
⇒その光が自己と一体になってくる
一定の世界と同通する心をつくれたら、その世界と行き来できるようになる。
互いの世界を行き来できる。

『世界から希望が消えたなら。』前夜

ヒア アフター
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良い映画だった。
霊能力を隠してふつうの人生を生きようとしている霊能者の青年と、臨死体験をもとに死後の世界について研究し出版した女性ジャーナリスト、事故で双子の兄を失った少年。
それぞれの孤独と葛藤と悲しみが互いを求めるように引き付け合い、運命に導かれていく。
ストーリーのテンポもちょうどよく自分にとっては心地よかった。
心情描写が繊細で、結構文学的というか、日本的な雰囲気があって、こういうの好きだ。
ポイントは、孤独なんだよ。
他の人には分かってもらえない真実を抱えている孤独。
そこに共感できる人にとって救いになる優しさが宿されていた。
クライマックスは全然派手じゃないんだけど、その心情表現のなかで孤独からの自己救済が静かに成し遂げられていく描写は美しく穏やかな余韻を長く残してくれている。
自分は誰にも分かってもらえない。
でもあの人となら分かり合えるかもしれない。
これまで抱えてきた「自分は幸せになりえない」という自分自身がかけた呪いとの決別。
もっと強めの演出を施してカタルシスを強調することも当然できただろうに、クライマックスをあえて静寂の中においていることに対して物足りなさを感じる人もいるようだ。
だが、主人公は物語が始まる以前からすでに非日常的な日常に生きていて、彼がもっとも求めていたものは誰もあこがれないような平凡な幸せなのだ。
霊能者としての救済を求める人々から逃げて、一人の人としてのごく普通の幸せを求める主人公にとって、この上ないクライマックスだったのではないだろうか。
だが、霊的にみるなら彼は神の召命を拒んで三次元的人生に堕落しようとしているともとれる。
物語の後に彼が使命に殉じていく人生が始まるのかもしれないけれど、「自らの使命をどう受け止めるか」という観点から見れば、人間的誘惑を求める情けないメシア像が描かれているようにも思えてくる。
その点明日18日からスタートする映画『世界から希望が消えたなら。』では、死を体験して蘇生した奇跡の霊能者が自らの使命に目覚め、この世の誘惑をすべて捨てていく「英雄哲学」が描かれているものと期待される。
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霊的な使命をどう受け止めて、自らに与えられた命をどう使っていくか。
観る人に死生観を問いかけるようなストーリーなんじゃないだろうか。
「あなたはいかに生き、いかに死んでいくべきなのか」


ヒア アフター』の登場人物たちも「死」というものをきっかけに人生の変化を経験している。
『世界から希望が消えたなら。』で描かれる主人公の「死」と「復活」が生みだす人生の変化は自分の心にどんな余韻を残してくれるのだろうか。
人類史上もっとも重い使命を受け止める英雄の姿に、何を思い、何を学ぶのだろうか。

環境を高める②

テレビもニュースも見てないので、台風の情報とか断片的にしか知らないんだが、被害は甚大だったということは分かる。
一方で、なんやかんや警戒しつつも避難はしないっていう判断をした人もたくさんいたのだと思う。
自分はというと台風の実害より、精神的被害に呑み込まれるのが嫌だったので、前日の時点で精舎に避難がてら禅定宿泊。
4日ぶりに帰ってきて食料品がなくなっているスーパーの棚を見て正しい判断だったなと思った。
9日あたりからなんとなく感じるところはあって、台風以前に人の集合想念として恐怖心が迫ってきている感じが分かっていて、それが11日の時点である意味上陸したなという感じがあった。
台風の気象図で精神的被害を可視化できるわけでもないので、その辺は自分の直感に従うしかないのだが、自分は精神の渦に影響を受けやすいタイプだと思うし、心穏やかな状態で執筆なり禅定修行なりをしたいタイミングでもあったので、ピコーンと閃いたらすぐに動いていた。


今回テレビ報道は一切見ておらず、せいぜい普段使っているツイッター経由で自然に入ってきた情報と、幸福の科学の所属支部と全国の精舎からくるメールから漏れ伝わってくる情報だけしかしらない。
あとリバティーのデイリーニュースか。
以上を見ていて思ったが、情報による精神的環境に対する配慮ってもっとうまくできないものだろうか。
警戒すべきことを甘く見ないよう危険を知らせるのは大事かとは思うのだが、いたずらに恐怖心をあおっているように見える面もあったし、恐怖心の虜やある種の興奮状態になって冷静な情報配信ができなくなっているように見受けられるものも多々あった。


台風前日から精舎に入ってもっとも強く感じたことはこの「精神的環境」にたいする重要感だった。
これを甘く見て自宅に残ってやり過ごしていたら、たぶん今違う人間になっていたと思う。
精舎での修行が充実したということも手伝って生じている落差ではあるが、恐怖心にかられて良いことなんて実際何もない。
これは「環境を高める」というテーマに関することでもあるが、気軽にだれでも情報配信ができる今の時代って、だれでも悪気なく他の人の「精神的環境」を害してしまえる時代でもあるんだと思う。
東京を離れていた4日の間、あまりスマホを見ることもしなかったため、久しぶりにツイッター開いたときは、「なんで俺はこんな情報を見せられているんだろう」と不思議に感じ、それ以来見るのを控えている。
テレビに至っては、もはやチューナー繋がってないので御法話DVDを見るための道具でしかない。


無料で気軽に楽しめるメディアに自分も親しんできたけれど、無念無想禅をやるようになってからというもの、その価値を大きく見直すようになっている。
テレビもネットも雑念の塊なのだ。
自分にとって有益な情報だけを提供してくれるメディアサービスであればお金払っても良いなと思う。
リバティーだけでそれをまかなうにはどうしても偏りがあるだろうし、どういうとこが良い感じの情報配信サービスをしてくれているんだろうか。
おそらく、自分好みのセレクトなんてなかなか難しいだろうなとは思うけど、それが実現するなら喜んで課金する。
昔は好きで雑誌買ってたし、情報に金をかけるのには抵抗がない。


安いSNSで精神的環境を知らず知らず穢すような状況はとりあえずシャットアウトして、活字本を読むのがベターなのかなとも思うが、自分を高められるような良質な情報源を見つけられれば、良いなと思う。
ていうか自分でそういうの作れれば面白いとも思う。
見るべきものといたずらに見すぎるべきではないものをバランスよく取り入れられる情報環境を作りたい。

約束を守る

繁栄を実現するために、いくつかのテーマを基に、探求と実践をしていこうとしている。
前回は「環境を高める」
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今回は「約束を守る」でいこう。

ていうか、8つほどそういう指針をインスピレーションとして頂いてきたので、そういうことをしている。
以下がその8つ


「条件から始めない 結論から」
「スピード 即座に始めよ」
「機を逃すべからず」
「ユーモアを尊べ」
「約束を必ず守ること」
「環境を高めよ」
「時間と距離を惜しむな」
「あなたにとっての富の価値を誰よりも知れ」


精神統一をしているときではなく、ゆったりめのソファーに座って珈琲を飲んでるときだった。
「富の力ってこういう空間でたくさんの人を喜ばせているわけだし、実際すごいことだよなー」
なんて考えながら、自分ももうそろそろ真剣に豊かさについて考えた方が良いなと思ったあたりから、何か語りかけられるような感じがあり、いろいろやりとりがあったのだ。
で、「お土産ください」というお願いをしたら、バーッて一瞬のうちに8個の宿題を頂いたのでした。
「環境を高める」もそうだが、まだまだ全然掘り下げれるテーマなので、繰り返し記事にするつもりだが、次回そこに行くまでに全部きちんと納得いくまで深めて実践できるかな。
それこそ約束を守れってことだとは思う。


結局霊的インスピレーションって、内心の話としてあまり外に出ないことではあるので、結構反故にしてしまいがちなのだ。
これはとてもいけないことで、せっかくご指導いただいたのに、その思いに対する裏切り行為に等しいのではないだろうか。
インスピレーションを欲しがるくせに、その現象だけに喜んで行動が不誠実って態度はとても失礼なことで、かえって霊人を悲しませ、遠ざける行為になるのではないだろうか。
すくなくとも喜んでいるはずはない。
自分の頭で考えた事なんじゃないだろうかと、疑ったりすることもあるので、自信を持てずに打ち込めないということはあろうけれど、「自信を持つ」ということも含めて修行なのだと思う。
根拠の乏しい中で「信じる」っていう行為によって築く信頼関係ってとても強固なものになるんじゃないだろうか。
ていう考え方が今ダーって閃いたのだが、けっこう大事な考え方だなと思う。


ここまで書いたうえで「約束を必ず守る」って、ことばを使う以上、単にこの世の中での人間関係のなかで発生する約束の事ではなく、天上界に対して誓った約束事なのだが、上に連ねた8個の指針に日々取り組みながら、他の多くの人と共に繁栄へと向かっていきますと、いう誓いの言葉を祈願にしたためていましたので、この効果のほどはともかくとして、やれることをやらねばうそになるのです。
そう。
祈願を受けて来たのです。
禅定宿泊のみ2泊3日のつもりが1泊延長し、最終夜寝ている途中で「即座に始めよ」「機を逃すべからず」っていう言葉がふと頭をよぎり、「祈願で約束をするのが良いかも」っていう閃きが朝まで残っていて受けたのが「左翼貧乏神を追い出すための祈り」だったのです。
めちゃくちゃ良い祈願式でした。
考えてもみれば、ここ数年どんどん左傾化していて、自民党が自由でも民主的でもない社会主義政策を流行らせているので、祈願を受けてスカッとするところもあった。
韓国に敵対姿勢を示しているだけで、
まあ約束の話に関係ないので辞めよう。


で、約束をどう大事にするかっていう考え方なんだが、
「約束したことは必ず守る」っていうことではないのだと思う。
「日々に約束する」習慣を作って、習慣を通り越して体質くらいにするのが好ましのではないだろうか。
うかつになんでもかんでも約束するのはどうかと思うが、「こうしたい」という理想って、簡単に届かないからこそ理想だったりするわけで、それに対してなんら誓いも立てずに平常モードで近づいていけるのかと言えば、それって結構難しいことなんじゃないかと思う。
それは振り返ってみれば誰もが分かることだと思う。


とくに、自分の場合、本当にかなえたい理想ほど、叶わなかったときの落胆を恐れてしまい、本気で願ったり誓ったりするのが苦手な傾向がある。
理想をやり遂げられなかったり、失敗したときの痛みに耐えるべく、負け前提での心の準備をしようとしたり、本気で取り組むこと自体を避けたりといった、「弱さ」があるのだ。
これが、人生の足かせになって一番力を入れるべき大事なことに、身を投じ切るということがなかなかできずにやってきた。
この傾向は結構若いころから、もしかした子供時代からあるかもしれない。
思い出せないけど、ちょっと根が深いかもしれないけれど、なんだか分からなくても良いから引っこ抜いてしまおう。
ということで、日々に勇気を出して一番の望みに対して誓いを立てて、目標を達成させるという姿勢を身に着けようと思う。


自分の作品など、締め切りがあるわけでもないものなので、はっきりと自分で期限を決めてしまわない限り、なあなあでやってしまうだろう。
そうでなくともいろいろ気が散る多動タイプなので、他の修行にいつの間にか打ち込んでいたりする。(それが絶妙に悪くない結果をもたらしていたりもするのだが)
自分に対する信用を高める上でとても大切な指針となると思うし、天上界から見ても信用できるとみれば、支援もしやすいだろう。
インスピレーションというだけではなく、他の人も含めた引き寄せとなると、責任の範囲が大きくなるので、途中で「やっぱ先延ばしにして」っていうタイプであってはいけないのだ。



ということで、今週中に第1話を仕上げて、アップロードできるところまでは何としても仕上げますと、さっき誓った。
でも表紙デザインとかいけるかなーとか、不安もあるのだが、そこは結局「条件から始めない 結論から」っていう指針に繋がるので、次回は「条件から始めない 結論から」で行こうかな。(←ここは約束しない)


自分をがんじがらめにするためではなく、飛翔させるために、余計な迷いを断ち切る刃として、神仏への誓いを立てて実行していく
っていうのを呼吸のようにできるようになりたいものです。