心のスケッチ  佐々木大記

信仰生活において起きる心の変化や動きをスケッチしています。心の変化後に起きる現実の変化や奇跡といった結果よりも、「どういう心の変化がきっかけで自己変革をできたのか」という原因にフォーカスした描写を試みつつ、あれこれ自由に綴っています。要は信仰に基づく自己変革の実況中継と日々のあれこれです。

天使たちとの出会い 自信と中道

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予期せぬ出会い・出来事を受け入れてみた

12.6㈯

15:00 

週2の仕事 バスポーター業務(空港発の高速バスの荷物おろし)にて

知らないおじさんが現場にいる。

聞けばバスの乗務員だけど、お客さんからのクレームが原因で乗務禁止のペナルティーが下って、バスポーターを命ぜられたとの話。

 

気さくで話しやすい雰囲気ではあるが、かなり愚痴っぽくあまり積極的に関わりたくないタイプ。

2時間ほど一緒に働く。

きっと、普段まわりに話を聞いてくれる相手がいないのだろう。

まるではけぐちを見つけたかのように、会社や社会に対する物申しを僕にぶつけていた。

 

あまり相手にしたくないと最初は思って少し冷めた対応をしていたのだが、「唐突に現れたこの薄毛で小太りのおじさんは、実は何か意味を持って自分の前に遣わされた天使なのかもしれない」とふと思ってしまい、冷めた態度を改めてみた。

 

相変わらず愚痴られてしまうのだが、とりあえず「思うように人生を自由に生きられずにつらいんだ」という本心が中心にあるように感じ取ることができた。

17:25

なんの救いもなくお別れしたのだが、会社や社会で起きている不正義に対する憤りを僕にぶつけてみせるこのおじさん天使は、何を僕に教えんとして現れたのだろうかと考える。

 

22:00

上司から電話があって出たら、かなりのお怒り。僕が着信になかなか気づけずに出れなかったことに対してガミガミ言っていたのだが、それだけの怒りをぶつけられる落ち度はこちらにはまったくなく、上司が今トラブル対応をしていていら立っていたようだった。

相手のイライラにはお付き合いすることなく要件を聞き終話した。

この上司も普段やや愚痴っぽいところがある。

「これももしやおじさん天使なのかもしれない」と妄想再発動。

 

この会社はパワハラ体質というか、わりと理不尽な怒られ方を上司にされる文化があるらしい。

「もうやってらんねえ。かといって辞めて転職する根性もねえしな。」

二人のおじさん天使からはそんな心の声が漏れ聞こえてきている。

わりとありがちな苦しみなのかもしれないな。とおもう。

見つめるべき自信のありかた

12.17㈰ 10:30

上司に退職の意思を伝える。

一個人から作家へと転身していくための生活設計の一環である。

もともとやめるつもりでいたので昨日の件はとくに関係ないのだが、もしかしたら僕があっさり辞めようとしていることに対して現れてきた現象が昨日のおじさん天使たちとのやりとりだったのではないだろうか。

今もの凄くドライに淡々と仕事をリストラしようとしているが、ふつうはそんな簡単に決断できないものだろう。「そのことをもっと自己評価して自信に繋げて良いのだよ」とおじさん天使(面倒なので以下「おじ天」と表記)たちは伝えようとしていたのかもしれない。

 

今回二つの仕事を切り離そうとしているが、かなり強い意志で、しかも自己中心的に辞職の意思を突きつけている。

これまではもう少し会社側に気を使って双方に良いタイミングを見計らってやめるようにしていたが、今回そのような配慮や遠慮は一切なく、自分が立てた志を最優先にして退職までのストーリーを主体的に組み立てている。

おじ天たちにはとてもできないことだろう。

この普通の人との違い、あるいはこれまでの自分との違い、心の変化に対する評価をきちんとしておくことで正当な自信に繋げておくべきなのだと思う。

 

僕は自己評価が低いらしく、本来もっと自信を持つべきであると何度もいろんな人に言われてきた。自覚がないのだが、どうも謙虚の度が過ぎているらしい。

 

過信とは実力に相応しい自信よりも行き過ぎた自信であり、バランスを欠いた状態である。

過信を戒める前提として正当な自信を持っておかないと、何が行き過ぎた状態なのかわからなくなる。

それが僕の状態なのだろう。

 

自信を多く持つこと=慢心

なんて風に思い込んでいたのか。そうか。

自信は多く持っていいのだ。

 

“過信とは実力に相応しい自信よりも行き過ぎた自信であり、バランスを欠いた状態である。”

と先に書いたけど、マイナス方向に行き過ぎて自信がない状態もまた過信なのだと理解したほうが良いのだと思う。その理解があってこそ真に極端を知って中道に戻すことができる。

要は過信とは、自信の大小の問題ではなく、バランスの問題なのだ。

 

うーむ。

 

自分で自分を評価するって、今までしたことがあっただろうか。

自分を評価しない心もある種の病というか、何らかの原因があるカルマ(傾向性)なのだとおもう。

自己確認しておや?と思うのは、自信を持つことに対する肯定感覚がほとんどないということだ。これはおかしいぞ。

実力相応のバランスの取れた自信を蓄えていくことで、行動力や現実的な力を増してい成功していくことが「楽しい」っていう考え方を持つべきなんだきっと。

 

 

おじさん天使たちを通してみつけたダイヤモンドの鉱床である。

ここに大きな成長の余地ありと見つけたり。

取り組もう。

愚痴っぽくて苦手な感じだったけど冷たくあしらわないで良かった。

受け止め方、考え方、観察の仕方次第で「現実」はポジティブにもネガティブにも簡単に変わってしまうもんだなとつくづく感じさせていただいた次第である。

 

 

目に見えぬお導きに心から感謝します。

ありがとう。