心のスケッチ  佐々木大記

信仰生活の日々に思うことを綴ります

ときには自分を疑ってみる

棚上げし続けてきた小さな問題

悩みがある。

 

優れた映画や文学作品など、世の中にある創作物にもっと触れて感性を磨きたいのだが、一日に与えられている時間に限りがあると思うとどうにも時間を割く気持ちになれないのだ。

昔はそうでもなかったのだが、奥深い仏法真理の世界に触れてからというもの、大衆娯楽的なものに長い時間を費やすのがどうにも気が進まない。

この傾向性は「そのうち克服しよう」と軽く思い続けてきたのだが、必要性に駆られることがないため一向に克服できない。録画しっぱなしで見ていない映画がどんどんたまっていく。

見たところでつまらなかったら時間の無駄になってしまうと思うと、そんなに時間のとられないライトな教養番組とか、バラエティー番組に走ってしまうのだ。

この程度のことすぐに解決できると思っていたけれど、長年こじらせているうちに動かしがたいこだわりになってしまっているような気がする。

少し強制的にそういうものに時間を費やすサイクルを作った方が良いのかもしれない。自分の表面的な気持ちを抑えて一時の間はいやいやでもいいから関心領域を広げる努力をしてみるかな。自覚していないレベルで頑固な年寄りのこだわりが形成されている可能性はあるかもしれない。

思い込みのなかに潜む成長のカギ

自分が正しいと思っている考え方や、自分ならではの個性だと思って変えずにいることの中に、成長の妨げとなる不必要なこだわりが潜んでいる場合は多いと思う。かたくなに拒否し続けている価値観であったり、無意識的に遠ざけて取り組まずにい続けている問題解決や、やるべきだと既に分かっているのに手を付けようとしない自己変革。自分には縁のない世界だと決めつけて関心を向けようとせずにいる領域の人々。

人間はえてして自分の経験や思考の領域に基づいて行動したがるものであるからして、これまでと異なったものの考え方や、行動の組み立てというものにはどうしても抵抗感を持ってしまうものだ。誰だって慣れ親しんだ仕事をやりたがるものだし、経験のない新しい仕事は失敗する可能性が高いように感じてしまう。その傾向は年をとればとるほどに強くなっていくのではないだろうか。

僕はまだ若いつもりでいるのだが、自分独自のものの考え方や生活スタイルへのこだわりが他人より多い分、新しいものを受け入れるための柔軟性は年々失われて行っている可能性が高い。そういう想定の下に、努力して今までと違った行動パターンをつくってみたり、あえて自分のこだわりに反するようなことを試してみたりした方が良いような気がする。

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前々回の記事の中でhttp://ssktmnr.hatenadiary.jp/entry/2018/01/06/142519

”自分の認識力に頼った小さな世界に閉じこもりたくない”という話をしていたが、いやいや言ってる自分自身が無意識のうちに作り出した「自分」という枠にみずからはまり込んでいる状態にあるではないか。

これは時間の無駄を嫌うがゆえに回避してきた領域にあえて踏み込んで、新しい可能性を開拓する試みが必要になってきているのかもしれない。

かといって目的もなくとにかく新しいことに手を出すのは違うだろう。自己表現をより豊かになしていき、救済力を高めるための一プロセスとしての位置づけであることを忘れて、奇抜なチャレンジを自己満足的に繰り返すのはそれこそ時間の無駄である。

自分自身の意に沿わないやり方や判断を敢えて受け入れてみるなんてなかなか難しいことであると思うが、36年の人生で積み重ねてきた自己像の殻を破るための創造的な破壊も必要なのだと思う。

一見遠回りにも無駄にも見えるやり方かもしれないが、恐れずに焦らずに、根拠などなくとも自分の直感を信じて進んでみよう。自分が思い込みによって作ってしまった枠の外に新しい世界がきっと待っている。

それは初夢でみたあの山の頂きの向こう側と同じで、今はまだ見えていない自分の居場所なんだと思う。 

http://ssktmnr.hatenadiary.jp/entry/2018/01/03/133315

 

悩みがある

ていう一言で始まった記事だが、書き進めていくうちに悩みではなくなった。

あとは勇気をもって取り組んでみて手ごたえに応じて継続するか否かというところだろう。

ま、楽しんで実験してみようっと。