心のスケッチ  佐々木大記

信仰生活の日々に思うことを綴ります

手放してはいけない心を見つける

連続するボタンの掛け違い

1月8日15時20分

ブログ更新でもしよっかな。と、部屋でじゃがりこボリボリやりながらくつろいでいた。

スマホが光ってる。何かと思ったらバイト先から。短いやり取りを終えて気が付いた。

今日は出勤日だ。

シフト変えたの完全に間違って把握してた。瞬く間に緊急出動して、終電間際までお仕事。で、結局終電逃して、現場近くの待機所で一泊することに。

 

翌9日6時20分起床

完全に遅刻する時間です。

よくよく調べたらアラームのセットを間違っていた。

待機所となっているアパートはカーテンすらなく寝心地は悪いはずなんだが、美輪明宏さんに何かをレクチャーされるというしっぽりした夢をばっちり見ていた。またしても瞬く間に緊急出動。13時までばっちりお仕事して14時にようやく帰宅。

 

部屋の中の時間は23時間前の緊急出動時のまま時が止まっていた。

食べかけのじゃがりこ

ノートPCはまだ何も書かれていないブログ記事編集画面。

まるで何事もなかったかのように落ち着いている。

まるでここに戻ってくるまでの間の出来事すべてを知っていて、待ってくれていたかのような気配を感じた。 

そして24時間後の今、何事もなかったかのようにブログ記事を作り始めている。とても不思議な気分だ。確かに仕事に行き、一晩を明かし、今日の仕事も終わらせて帰ってきたはずなのだが、夢の中で疑似体験をしてきたかのようにも感じられる。

きっと振り返るべきなのだろう。

ままならない環境の中でようやく見つけた心

このテーブルに戻ってくるまでの24時間、仕事⇒睡眠⇒仕事という感じで、心を深く見つめるような時間が十分に取れなかった。待機所で眠る前に簡易的にお祈りと主との対話の時間をとったのだが、普段から信仰生活の拠点としている自宅や、支部や精舎などの聖域がとても恋しくなった。何もない部屋で、深夜0時過ぎにひとり小さく祈り、自宅に帰らぬまま6時間後には別の仕事へ向かうという現実と直面したとき、自分が本当に心底求めている生き方がどういうものなのかが分かり、とても恋しくなった。

 

自らの生命を、この信仰のために捧げるような生き方をしたい。

 

愛する主のために

主の愛する世界中の人々のために

日々の努力を

与えられた個性を

与えられた能力のすべてを

どうしても役立たせたい

今の私にそれが叶わないならば

それが叶う私になりましょう

信じ仰ぐ尊い主のために

尊い主がお創りになられた

尊い理想のために生きることが叶うなら

私の生命は尊い生命であると言うことができるでしょう

 

まるですべてを奪われたかのような何もない部屋に一人閉じ込められているような状態になって、僕が欲しいと思ったものは、信仰に生きる時間だった。

快適な生活環境でもなく、愛情のこもったおいしい手料理でもなく、じゃがりこでもなく。

それは他の何物にも代えがたい本物の時間だから、そう思うその気持ちを、ようやく発見することのできた心を、決して手放してはいけないと思った。

他に何かが欲しいという気持ちもなかった。

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仕事が終わった瞬間は、雨の中夜遅くまで働いたせめてもの慰めに、いつものように酒でも買って飲もうかと考えもしたが、自分に残されたかすかな時間を思うと、そんなことに費やす気にはなれなかった。

時間に恵まれ、空間に恵まれて生きている普段のままでは、こんなにも信仰を渇望する自分の乾いた心に気づくことはできなかっただろう。

普段出勤日を間違えるなんてこと考えられない自分がなぜ間違ってしまったのか分からずにいたのだけれど、その理由が分かったような気がする。

信じることがまるで当たり前のようになって忘れていた大切な気持ちを思い出させていただいた24時間の出来事だった。

 

本物の信仰を心の支えとして生きることができる人生ほど強いものはない。

待機所のあんな酷い環境でも幸せな気持ちで眠れてしまうのだから。

もし、自分にこの信仰がなかったら心の中は愚痴でいっぱいだったろうし、幸福感なんてありえない話だったろう。

この件に限らず、信仰によって救われている瞬間は過去に数数えきれないほど訪れていた。

孤独や苦難、悲しみの中にあったとき。

自分が恵まれていないような気持にさいなまれていたとき。

挫折し、自信を失い、劣等感に苦しみ、希望を見いだせずにいた長い長い時間を、信仰なくしてどうして乗り越えることができただろうか。

そうした救いが及び来たっていた時間をきちんと確認し感謝しよう。

もっと深く愛するために。