心のスケッチ  佐々木大記

信仰生活の日々に思うことを綴ります

瞑想的徒歩

最後に歩いたのはいつだったろうか。このごろ暖かくなってきたし、夕方の銭湯あがりとか気持ちよく歩きたい。

駅に向かってとか、家に向かってとか、犬の散歩とかじゃなく、ただ歩くことだけを目的にした純粋な「歩き」。ウォーキングも違う。ウォーキングの場合健康が目的になる。「歩き」の目的は歩くこと。すごくゆっくりと、リラックスして歩いてみると、普段気づかないことに気付かされる。

 当たり前のことではあるが自分以外に歩くために歩いている人はまずいない。皆なんかしら目的を持って歩いている。そんな中、ただ歩きたいペースで歩いていると自然テンポがスローになる。自分も普段周りの人たちと同じようなテンポで歩いているのだが、実は自分にとってそれはあまり心地よいスピードではないようだ。もしかしたら、歩くスピードだけではなく、一日や人生の歩みそのものも、独自のリズムがあるのかもしれない。

ゆっくりと歩いていると、歩道脇に咲いた小さな草花によく目を奪われる。絢爛な花も良いが、可憐に咲いてくれている花をみつけるとありがたい気持ちになる。普段目にとめる暇もないほど一瞬で駆け抜ける道に、誰に見られるかも分からないような環境で、いつか見てくれる誰かのために、きちんと自分の花びらをピンと広げ、かすかな香りを放ちながら待っている。誰にも見られることなく散っていったこともきっとあっただろう。それでも種を残し、いつか必要としてくれる誰かのために、季節を越えて再び花を咲かせている。

ほんの少し昔、深く悩み、悲しく苦しい決断をし、どん底に落ちた時があった。誰に相談することもできず、孤独な中、祈ることもできなくなっていた。そのころ不思議だったのだが、普段気にも留めていなかった道端の草花がとても輝いて見え、優しい香りで語りかけてくれているような気がした。失意の中、会社を行き来する自分を癒してくれていたのだと思っている。道端の花だけではなく、あらゆる自然が優しく心を包んでくれているようで、世界があれほど美しく見えたことはなかった。

それ以来、ゆっくりとただ歩くときは、草花の言葉に注意深く耳を傾けるようにしている。どんな思いで花を咲かせ、その香りにどんなメッセージを込めているのか。

そういうことを感じながら歩いていると、ゆっくりにならざるを得ないのだけど、それがとても心地よく感じられるようになる。日中ごちゃごちゃといろんな事を気にして考えた日ほど、じっくりとただ歩く時間をとるようにしていた時期があった。

歩いているうちに頭の中がきれいに掃除されて、その後は深く眠れるようになる。これは瞑想のような効果があるのかもしれない。心身と自然のリズムを調和させることで地球に自分自身の根を張り、隔絶された個としての意識を癒すことで自律神経が整えられるんじゃないだろうか。

一件無駄なように感じられる時間ではあるのだけど、超自然的な心と体のメンテナンスとして、たまにやるのも良いかもしれない。