心のスケッチ  佐々木大記

真理探求作家の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学「ジル」を電子書籍出版で連載開始。http://pr4.work/3/jill(10/24)

障害者との出会い。おすすめ映画縷々


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ブログタイトルを変えた。

「佐々木大記の随想」って硬い感じがどうも嫌で、シンプルに「心のスケッチ」にした。

その時々で思いついた言葉を綴っているのだが、自分の心の動きというか、移り変わりを観察して書き留めていることが多いので、スケッチで良いかなと。

もう少し目的性があって、「何かの為に書こう」なんていうふうに多少の使命感に基づいて記事を書いてたんだけど、何かの解説や評論的な話より、自分自身の心の変化や成長を綴っているときの方が楽しいし、綴りながらの発見がある。

未熟な信仰者の成長過程を追いかける感じがこのブログならではの「らしさ」なのかもしれない。

未熟で思い出したが、最近見たドキュメンタリー映画も未熟さがそのまま描かれていてとても新鮮な感動があった。学生がNPO団体への取材を通して「救いとは何か」を描いた映画で、その制作過程も作品の中に織り込まれているのだが、もう少し違う切り取り方があったんじゃないかとか、作り手のスタンス自己中ぎみなんじゃないかとか、感じさせる部分もあえてそのまま作品として出しているところがとてもリアルで、結局良い作品になっている。すごく面白かった。

「心に寄り添う。」というタイトルなのだが、寄り添い方も手探りな感じでおそらく、作った本人たちも自分たちの未熟さに満足できていないんだと思う。

だけど、完璧な満足度のものを「メイク」するのではなく、未熟さを含んだありのままの姿をごまかしなしに「出せる」って凄いことだと思ったし、それ自体が強い求心力となってマイノリティーの真実味を際立たせている。

この映画に登場する障害児たちとその家族は、幸福の科学との出会いを通して健常では得難い幸福を掴んでいる。

彼らは少数派という意味でマイノリティーだとは思うけれど、決して弱者ではない。もの凄くパワフルで、透明な輝きを真っ直ぐに放っている。救われる側というより救いを与える天使として、周りの人や見る人を幸福にしてくれている。

「人間の価値とは何なのか」が見失われつつある現代に、大切なことを思い出させてくれる重要な使命を担って生きているのだと思う。

 

映画の中で取材がなされているのは一般社団法人 ユー・アー・エンゼルという障害児支援団体なのだが、個人的に関心があったので去年の7月に名古屋でユー・アーのセミナーに参加させて貰った。

というのもその日は相模原障害者施設殺傷事件があったちょうど一年後の日で、犯人の「障害者はその生存自体が苦しみ」という間違った主張に対する打ち返しとして、企画された集いで、「信仰を持った障害者たちの天使の働きをたくさん紹介します」とあった。セミナーは

 

『障害者は神様の宝物

ー悪魔の働きを

 打ち返そう!-』

 

というタイトルだった。

ものすごいパワフルだ。

 

さらに、この殺傷事件に貸しては大川隆法総裁先生より霊的なリサーチが事件翌日になされており、これは一過性の事件ではなく、「今後10年以内に起きて来る悪魔的な思想の序章」というふうに説かれていた。

しかもそれは、幸福の科学に親近性のある保守運動の中から出て来る、「国を強くするためなら”足手まとい”は要らない」みたいな思想だという風にも予言されていた。

僕は天使の愛とその敵となりえる未来の闇を学んでおきたいと思い参加することにしたのだが、当日会場で繰り広げられる障害を持った子供たちの天使っぷりにただただ感動しっぱなしで、小林早賢館長も泣いてるだけでほとんど話せていなかったっていう(笑)

 

意思表示が困難な状態にある障害児がたくさん親御さんとともに集っていた。

セミナーの中では「じゃあ、○○さん親子にお話ししてもらいましょうかね」なんて感じで、障害を持った子供とそのお母さんが、みんなの前で自分たちの話をしてくれるのだが、知能が幼児のままとされていた子供たちが、実は健常者と変わらない意思表示ができ、しかも、高度な精神活動が可能であるという事実をそのときはじめて知らされて、そうとうなショックを受けた。

普通に話せるわけではないのだが、本人の意思を引き出す技術を使ってお母さんが翻訳する形で、今の気持ちを「健常者と同じように」表現できていた。

そして、普通に意思表示をするどころか、彼らはとても美しい詩をたくさん作っていて、詩の発表もあり、その詩のすばらしさにもの凄い感動し涙した。

まさか、こんな感動を障害を持った子供たちから与えられるとは思っていなかったので、それ以来障害者に対する意識は変わらざるを得なかった。

 

今年に入ってからある高齢保守系の評論家が自殺をした。

体調が思わしくなく、本人の実感として自分がこれから精神的に健常ではなくなっていくことが確実であると予見し、周りに迷惑をかける前に「役立たずは潔く」という気持ちで自裁死という形をとったらしい。

本人に、障害者に対する悪意は当然なかっただろうけど、ここにも”社会の足手まとい”を否定する考え方が潜んでいる。

安楽死にたいする考え方の中にも共通のものがあるのだろう。

自分の死に方に関する考え方として、「できるだけ迷惑をかけたくない」というところから共感の窓口があるため、確かに怖い部分はある。

宗教的な学びを通して「人間の価値、人生の価値とは何か」について深く知っておかないと、「人類全体の為に妨げとなるものは排除してよい」なんて極端な考え方に陥りかねないと思う。

最近の北朝鮮関連の意見の中にも一部、この強硬な姿勢が入っているように感じる。

「さっさと爆弾おとして片づけてしまえば良い」みたいな考え方で染め上げてしまっては新しい悪魔が生まれるだけだ。

宗教者である以上「結果良ければすべて良し」とせずに、原因となる心を見つめる姿勢は忘れたくない。

正義を実現していく中で、今後も世界中で多くの血が流れる事態は避けられないだろう。だからと言って、人間の価値が下がるようなことは決してないのだ。

「人間の価値とは何か、人生の価値とは何か」を知るきっかけとして、

青々とした若者の真っ直ぐできれいな心に触れる「心の洗濯」の機会として、

映画「心に寄り添う。」とてもおすすめです。

aripro.co.jp

 

結局解説的で評論的になってしまったけど、まあそういうときもあるさ。