心のスケッチ  佐々木大記

真理探求作家の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学「ジル」を電子書籍出版で連載開始。http://pr4.work/3/jill(10/24)

さらば青春、されど青春 その② 名古屋に馳せる思い

人生は一つしか選べない。

凝縮して言い換えれば、一日は一つしか選べない。

今日自分が選んだ一日は、何だったのだろう。

今週、今月、自分はどんな一週間、一か月を選び取って、どこにたどり着いたのだろうか。

そういうことを時折り振り返る。

 

この頃、今こうして自分が存在し、仏法真理を学び続けていること自体が、とてもありがたいことであると感じられる。

と同時に、世の中の為に充分に自分を生かせていないことが、大変申し訳なく感じる。

悟りたる仏陀が現れ、法を説いて下さっている同じ時代に日本に生まれ、多くの信者の方々と出会い、繋がり、深い学びの機会を数多く恵んで頂いている。

幸福の科学支部に行けば、同じ主を信じる仲間と通じ合える。

心を正すための尊い経文や、天上界へ聖なる願いを届けるための祈願もある。

より深く修行をするための研修や、祈願をするための聖域として、精舎も建立されている。

映画や政党や学園も作られている。

魂修行をし、ユートピアを建設するために必要なすべてが与えられている。

この恵みに報いたいという気持ちを忘れたくない。

 

2016年

名古屋正心館が落慶したのを機に、名古屋に5回ほど足を運んだ。

名古屋には名古屋正心館のほかに、名古屋記念館があり、初めて名古屋へ行ったとき、僕は正心館の前に名古屋記念館へ参拝させていただいた。

そこは元々は総裁先生が会社員時代に過ごした、社員寮で、先生が幸福の科学の始まりとなる霊言を書き下ろしていた部屋がそのまま残されている。

映画「さらば青春、されど青春。」の中で、主人公が悪魔との闘いに苦しみもだえているまさにその場所で、先生が使命に殉じて世に出ていくころの記憶が残されている聖なる場所でもある。

特別巡礼という形で、その部屋に巡礼させていただけるのだが、初めてその部屋の扉が開かれ、中に足を踏み入れた時の気持ちが忘れられない。

感動というよりも、ひたすらに申し訳ない気持ちになった。

あまりにも小さな部屋で、参拝用にご本尊が安置されてはいるが、ベッドと机のほかには何もない。というより、何も置けないような狭さなのだ。

その空間に足を踏み入れた瞬間に、この何もない場所で、先生が一人で、どんな気持ちで過ごしていたのか、その一点に思いが向かった。

どれだけ孤独だったのだろうか。

どれだけ不安だったのだろうか。

どれだけ迷われたことだろうか。

どれだけ苦しまれたのだろうか。

その葛藤のなか、たった一人で、どれほどの思いですべてを捨てて、人類救済の為の決断を下したのだろうか。

申し訳ない。

自分にはすべてが与えられている。

経文も、研修も、祈願も、支部も、仲間も、精舎も、学びつくせない程の教えも。

先生には何もなかったのだと、そのときはじめて悟り、申し訳ない気持ちになった。

自分のような人間がここにいて良いのかと、恐れ多い気持ちになるとともに、それが許されている現実をどう受け止めるべきなのかに、思いを至らせずにはいられなかった。

自分が「人生の本当の道」に入っていくための心を、少しでも学びたいと思うようになり、それから何度も名古屋に行くたびにその場を訪れては、日常に流されようとする自分自身の心の景色を、本来の在り方に近づけようとしていた。

saraba-saredo.jp

映画ではその当時の先生の心象風景を映像を通して垣間見ることができる。

知性や悟性というよりは、感性を通して、その心を自分自身に染み入らせることができる、名古屋巡礼の続きのような感覚も、僕としてはある。

人生の転換点を迎えようとしている人、大きな変化を必要としている人、決断とは何か、人生の前後際断とは何かを自らに悟らしめたい人にとって、名古屋記念館と、この映画「さらば青春、されど青春。」はとても大切な存在となるだろうし、先生もきっとそうした瞬間を多くの人に乗り越えて欲しいと願っていらっしゃるんじゃないだろうか。

 

一つしかない人生。どんな人生を選択したのか。どんなふうに選択をしたのか。

その心をもっと深く知りたいし、自らもまたそれを体現したい。

そのためにも、映画を通して潜在意識に深く先生の姿と心を、染み入らせたいと強く願う。

 

僕が今日選んだ一日がもたらした恵みを、ここに中間報告として残しておく。