心のスケッチ  佐々木大記

真理探求作家の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学「ジル」を電子書籍出版で連載開始。http://pr4.work/3/jill(10/24)

師との出会い

5月24日。いつも立ち寄っている書店でストーリーの構成についてまとめられた体系書と出会った。640頁位の分厚いやつ。

パラパラめくって

あ、これだ

て思って即購入。

運命の歯車が噛み合うような瞬間。

著者は知らない人だった。

ジョン・トゥルービー。

ハリウッドの脚本制作関係の大家だとか。

僕は師として仰げるほど尊敬する人物が、現存するなかでは3人もいないが、この人には弟子入りさせて貰いたいと直感的に思った。

今いかにしてジョンが結晶化した叡智を自分の血肉として修得するか、真剣勝負の日々を過ごしている。

 

いつからだろう。何か物語を作りたいという気持をずっと持ち続けていたのだが、長編の物語となるとどう手を付けて良いものか全然分からないし、作れる自信もない。それなのに「作りたい」という欲求が自分から離れていくことはなかった。

このくすぶり続けている欲求をどうすれば良いのか分からない状態が何年も続いていたのだが、ようやく運命の一書との出会いを果たして、新しい扉が開かれた感じがする。この出会いは、自分の人生における精神的課題の解消とシンクロして起きている。この一冊を深く理解するうえで、今までの様々な経験や出会いや学びが役立っているし、逆に今までの様々な経験や出会いの意図を理解する新しい学びにもなっている。長い時間なかなか前に進まない状態が続いているのに、一向に理想が消えていかないことを不思議にも感じていたのだが、そうではなくて、理想に応じて自分に必要な経験と時間が与えられていたのだ。全てを理解したわけではないが、何一つ無駄なことは無かったのだと確信している。何もできない中でよく諦めずに理想を持ち続けたもんだなと、我ながら関心する。「昔から物語を作るのが好きでやり続けてそれを本格的に職業にする」っていうのと違って、僕の場合は「作ったことないしやり方も分からない。苦手意識すらある。けど作りたい」っていう欲求だけでその道に進もうとしている。できるかできないかは関係なくて、むしろ、できない事をやれるようになる過程を、僕の魂は重んじているのだと思う。

 

過去にも似たような出会いがあった。

小学5年か6年頃、絵(漫画)の描き方が解説された参考書との出会い。漫画がものすごく好きで、よく好きなキャラクターの絵をジャンプを見ながら描いていたいたのだが、全然上手に書けず苦しんでいたときの出会いだった。

絵を描くのが好きで、初めてなりたいと思った将来の職業は画家だった。じゃあ絵が得意だったのかと言えば、そうでもなかった。どちらかと言えば、下手な方だった。他の友達がサラッと悟空なんかの絵を描くのを見て悔しい気持ちになっていた。どんなに書き続けてもうまくならなかったんだけど、不思議とそれでも絵を描くのが好きだという気持ちが消えることはなかった。やはり、できるできないの問題ではないのだ。当時少年だった僕は上手な絵の描き方があること自体認識していなかったので、遠近法だとかグラデーションだとか、専門的に解説されているその本を見つけた時は本当に嬉しかった。それまで絵の才能がないのだと思っていた自分が、技術を駆使することによって絵が描けるように変わっていったことが、なによりも衝撃的だった。

あの原体験があったから、時間を耐えて出会いのときを待つことが出来たのかもしれない。憧れを手放すことなく持ち続けるうちに、自分を変化させる出会いの時が来るかもしれないと、どこかで思っていたんじゃないだろうか。

 振り返ってみれば、何一つとっても不器用で呑み込みが悪く、足手まといな状況から始まるのだが、なんとか皆の役に立てるようになりたい一心で少しずつできることを増やしていって、後天的に仕事ができるようになったり、人間関係を改善したり、リーダーとしてまとめ役をやったりといったことを、様々な場面で体験してきたことが思い出される。

どの分野であれ向いているからやれたなんてことは一つもなく、苦手で下手でどうしようもないようなレベルから始まっている。「自分もできるようになりたい」っていう願望一つで時間を耐え、出来るようになる。その繰り返しだった。

周りの人たちが普通にできることができない不器用な自分 に随分劣等感を持ったものだったけど、久しぶりの新しい知恵との出会いの中にいる今の実感としては、「知恵も才能もなく、思い通りにいかない不器用な人間に生まれて本当に良かった」と、心から思えている。

もし自分が理想通りに上手に絵を描ける才能の持ち主だったとしたら、絵の描き方を学んで下手だった絵が飛躍的に上達していく喜びを味わうことはできなかった。

もし自分が理想通りに心のコントロール能力に長け、悩みや迷いに足を取られることの少ない人生だったとしたら、より深い心の学びを求めることもなかっただろうし、真理を学習していく過程で生じる、自由の獲得と成長の喜びを得ることもできなかった。

だから天才じゃなくて本当に良かった。不器用で本当に良かった。知恵がなくて本当に良かったと心から実感しているのだ。

人間としての至らなさ故に、周りの人を傷つけてしまったり、不快な思いをさせてしまったりしたことは、本当に申し訳なかったが、おかげさまで知恵の価値と人間の可能性を学ぶことができた。感謝に絶えない。

これまでは自分が本当にやりたいことではなく、むしろ全然興味がないような分野に飛び込んで、落ちこぼれから始まり、その道で一目置かれる位までにのし上がるといったことを繰り返してきたけど、今回はは本命の分野での努力の道筋を得た事になる。

落ちこぼれがどこまでの高みに到達できるのか、本当に楽しみだ。

 

蒔いた種が土から芽を出す瞬間の緑の美しさが好きだ。

理想が発芽するその時期を待つ時間もまた愛おしい。

いかなる状況であっても命ある限り諦める理由はない。