心のスケッチ  佐々木大記

信仰生活の日々に思うことを綴ります

光明転換の基本姿勢と考え方

6月21日 pm16:00 

かなりスッキリした感覚。

精神的コンディションとしてはかなり良い仕上がりだ。

心は明るく、前向きで、澄んだ感じがある。

良質のインスピレーションを文章としてまとめようとしている。

今朝のコンディションからは考えられない心境だ。

これは本当に同じ一日なのだろうか。

 
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am5:40

三度目の目覚め。寝坊だ。

寝汗をかいていた。

 

3:45に起きたときは少し寒い感じがしてたので、布団を追加して二度寝、三度寝して暑さとともに目覚める。

せっかくいつもより多く寝たのに寝汗を拭く間もなく、身支度して出動。

朝の始まりがこう慌ただしいと一日通してグズグズになりがちだ。

 

その日一日の出来栄えは、一日の前半に作った心の状態によって大きく変わる。

特に、社会が活発に活動し出す前の夜明け前後。

澄み切った静寂の時間を、始まりの時間として持つことができた日は、一日を通して心の充実度を高い状態に保てる場合が多い。

 

スッキリと目覚め、布団をあげて、シャワーを浴びて、祈りの時間をとり、多少の運動と勉強と食事、精神統一と‥‥

 

 

なんて完璧な朝を理想に描いたりするのだが、現実はそうはいかないもので、身体は寝汗をまとったまま。

目をこすれば目やに。

もしかしたら寝ぐせもついているかもしれない。

布団も寝起きのままで、布団の上には脱ぎ捨てたねまき。

昨日健診でバリウムを飲んだ影響でお腹の調子も今いち。

実に不完全でグズグズした一日を予見させる序章が出来上がっているではないか。

 この場合、予見される展開は、

気持ちを整え直すことなくただただ時間に追われ、目の前にやってきた仕事を機械的に処理するうちに一日が過ぎていく。

憂さ晴らしに酒を飲み、テレビを見て、思考を停止させたまま、精神的な充実からは遠く離れたまま一日を終え、再び冴えない朝を迎える。

ていう感じがありがちなのだが、今回はどうも様子が違った。

 

 きっかけは「怒り」の感情だった。

am11:30

 午前の仕事を片付け、休憩。

気持を切り替える時間にしたいなと思い、いつもより少しだけランチで贅沢をすることにした。注文したサンドイッチがなかなか来ないなと思ったら、勝手にトーストされて出て来た。これにイラっとして、怒りの心がググッと発芽。

分かりやすい感情の変化だったため、即座に反省し、打ち返しとしてポジティブな言葉を心の中で反芻したら、すぐに怒りは消え、明るい心が出来上がった。その結果ご機嫌にランチを楽しめた。

この明るい感じなら復活のきっかけをつかめるかもしれないと感じ、メモを取り出した。

 
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頭の中を循環するいろんな考えをイメージでとらえ、繋げて一つの絵が出来上がっていく。
基礎となったのは明るい心。これがすべての出発点であり、前向きで建設的な考え方を引き付ける磁石になる。

暗い心で何かを考えようとすると、悲観的な言い訳や、人物批判が寄ってくる。

出発点を整えることが、すべての土台になる。

次に必要な心構えは、 自分の今を強く信じ貫くこと。

冴えなかろうがなんだろうが、すべては必要があって起こっている。常に学ぶべき何かを知るためにすべては起きていて、今は必ず勝利につながっている。逆風の中でどう振舞うか、心を鍛える機会が今与えられている。悲観的になって諦めたらそれまでだ。

そして、感謝の心。

こうした形でご指導を頂いていることに対する感謝の思いを天上界に手向ける姿勢。

感謝は天上界と自分とを繋げる架け橋であり、交流そのもの。

明るい心・信じる心・感謝の心の順に心を積み重ねてピラミッドを作るっていうようなイメージが構築された。これが、インスピレーションを得る基本姿勢なのだと感じた。

 

その時々の立ち位置で「足場」を築く仕事が与えられている

 そして次に浮かんできた言葉たち。

逆風の一日における考え方が紡がれていく。
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 メモをきちんと文章化すると以下のようになる。

 

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「一日の始まりを綺麗に整えることができなかったらその日は絶対にうまくいきっこない」なんていう風に自分を追い込むことでがんじがらめになるのはあまり建設的ではない。

むしろ、出だしで足を滑らせたときこそ取り組むべき心の作業がある。

理想は理想として維持しつつも、今が理想の姿そのものではないことを潔く受け止める器量を、心のゆとりとして形成することもまた修行の一つになり得る。

これはボロボロの今を良しとして受け入れられるだけの「器づくりのチャンス」が到来しているのではないか。

朝の時間を生かすことが出来ず、精神的なコンディションが整っていないような状況から再スタートするための、精神的な「足場」を今作ることに成功できたなら、その足場は未来永劫使えるものになり得るのではないか。

地獄領域とまでは言わないまでも、仏の光が差し込みにくいエリアにセーブポイントを建設することになるのではないか。

どんな状況からでもスタートし、勝ち上がっていく、不屈の精神を一つ作れるのではないか。

そんな考え方で意味付けしてみると、ボロボロなはずの今が、千載一遇のチャンスにも思えてくる。

 

大事なことは、今に完全を求めるのではなく、今できる一手を今の立ち位置から見出して、打ち込むことだ。

「一挙に全てを解決して、100%の理想状態じゃなければ満足できない」なんて考え方が、気をめいらせる原因になって、下へ下へと落ち込んでいく流れを加速させるのだ。

理想がどの位置にあろうとも人間にできる事は変わらない。

今の立ち位置を知り、そこから理想に向けて自分の歩幅で一歩先へ進む。

理想状態まで至ったかどうかよりも、自分の立ち位置からどれだけの前進をできたか。その人なりの「出来高」を仏は平等に評価してくださっている。

 

凡事徹底とは決して完璧主義的な考え方ではない。マイナスにしか思えないような出来事からも、漏らさず智慧を見つけ出そうとする、常勝思考的な姿勢なのだ。

 

 ****

 

浮かんでくる言葉を心の中で紡いで一つの考え方を完成し終えてからは、冴えないもやもやした感じはほとんどなくなり、寝汗かいて寝坊してた朝のことなど、すっかり忘れてしまっていた。

 

自分にとって大きな発見と変容であったと思うので、さっそくその日の夕方に記事を書き始めたのだが、少しずつ書き進めるうちに4日経ってしまった。

それだけの時間をかける価値はあったと思う。

諦めず、信じて良いのだ。

諦めず、信じて良かったと心から実感できたのだから。