心のスケッチ  佐々木大記

真理探求の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学を現在制作中。近々電子書籍で第一話を発表予定。(2019.09.27)

破壊の創造性について

今日気づいたのだが、この頃よく身の回りでモノが壊れる。

いずれもそんなに気にすることもないかっていう程度のちょっとしたアクシデントなので、あまり気にせず流していたけれど、どうも不自然に頻発している。

「破壊」という言葉がキーワードなのだろう。

破壊が意味するものは創造なのではないかと感じられる。

最近の記事で書いたことに関係する流れだと思うのだが、頭で考えて来た創造のプロセスを破壊し、ハートから紡ぎだす新しい創造のプロセスを自分に組み込もうとしているのではないか。いや、感じとしては、創造に限らず、あらゆる部分で良い意味での自己破壊をしようとしているような気がする。

生まれ変わりたいと願ったことが一つのきっかけとなって壊し屋的なエネルギーを引き付けているのだろうか。

何をどう破壊して、どう変化していくのだろうか。これから壊すのだから、壊れる前の今の頭でそれを知ることは困難だろう。

ただ、未来の自分の心を想定して考えることは可能かもしれない。

この記事を書き始めるつい少し前、二つの瞑想を軽くやっていた。

一つは自分の体力が今の2倍になったらどんな日々が展開しうるかについて。

もう一つは自分の経済力が今の10倍になった場合の生活や人生設計について。

共通して現れたビジョンは今よりも豊かな精神活動をし、その影響力の拡大に努めるというものだった。

体力が2倍になったとしたら、今の仕事が半分くらいの時間で終えたくらいの体力、自分の場合4時間弱の仕事で終えた場合の余力でもって夜を迎えているということになる。だとしたら、その体力と気力でもって、必要な学習や創作などの精神活動に取り組むだろう。

経済力が10倍になったとしたら、精神的な活動に費やすための時間を買うだろう。自分の身の回りの家事であるとか、作業的なことは人を雇って任せ、自分は精神活動に専念する。そして、その影響力を拡大するためのあらゆる学習、自己拡張のための自己投資をするだろう。

そんなことを考えていた。

いずれも未来を今とまったく違った状況に設定したうえでの瞑想になるので、ある意味今の頭を破壊して物事を見ていたと言って良いのかもしれない。

要は今までの延長上で自分の未来を考えていては到底生まれ変われないということなのだろう。それだけの変容を自分自身が望んでいるからこそ、「破壊」という一見穏やかじゃないキーワードが集まってきているのだと考えられる。

メッセージとしては結構激しいものを感じさせるが、それだけの覚悟をもって自己変革に取り組んでいく必要は確かにあると思う。

仏教的には「破壊」ではなく「捨てる」という言葉の方が好まれると思うのだが、それだと生ぬるいのだろうか。

いや、そうではない。

捨てるのではなく、破壊して再構築するのだ。利用価値のある断片を繋ぎ直して新しい価値を創り出すのかも。

体系的廃棄と異種統合をかけ合わせたようなイノベーションが好ましいのかもしれない。

かなり抽象的な話になっているが、具体的に言えば何をまず破壊するのか。

生活の在り方、習慣、物事の考え方、関わる人、自己イメージなど、後天的に構築して定着したかに見えている「自分」という考え方そのものを破壊するのだ。

なかなか勇気がいることだと思う。

ピカソが途中で画風をまったく違ったものに変えてしまったように、まったく違った路線というか、違った個性を現していく。その始まりの時期に今入っていくところなのかもしれない。

今後一日の反省項目の中に「破壊」を加えてみても面白いだろう。

「今日一日何ができただろうか」という振り返りに加え、「今日一日で何を破壊することが出来ただろうか」という破壊的反省をプラスしてみるなんていうのも良いかも。

少し楽しみになってきた。

当然と思っているあらゆる取り組みの在り方を疑い、壊してみたらどうなるかを考えてみるだけでも、不思議といろんなアイデアや可能性が浮かんでくる。

朝起きてから家を出るまでの行動パターンを破壊した場合どうなるだろうか。

家を出たら真っ直ぐ駅に向かうという行動パターンを破壊したら何が生まれるだろう。

或いは駅から仕事場に真っ直ぐ向かうという行動パターンを壊したら?

お金の使い方、時間の使い方、ものの考え方で当然と思っているような習慣を一度壊してみるなら、どんな未来があり得るだろうか。

「捨てる」という考え方だと、ただ辞めるだけにとどまるけれど、「破壊」という行為は案外創造性が高いものなのかもしれない。というより、コインの裏表のように、もともと二つで一つと考えた方がなんだかしっくりくる。


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破壊は想像の母とまで言って良いのか分かりかねるが、何かしら破壊的な出来事が身の回りで起きた時は、短絡的に悲観せずに、その中にある創造の芽を探してみる姿勢を癖付けたいものだ。

 

 

ものがちょっと壊れたくらいでこれだけの思想が出て来るのだから、面白いものである。