心のスケッチ  佐々木大記

真理探求の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学を現在制作中。近々電子書籍で第一話を発表予定。(2019.09.27)

9.19(水) 許しへの道

子供時代に背負ったであろう心の傷、わだかまりと向き合うために、ユートピア活動推進館で禅定を試みた。何か思い出せるだろうか。

まずは、正心法語。

と、思いきや、正心法語でこの日は終わった。

というのも、朝から精神統一を念頭に一日を捉えて、心を調えながら仕事中も過ごしていたからだろう。事前の心の準備運動はそこそこできていたんだと思われる。

そんなつもりもなく、精神統一の導入のつもりで、正心法語を静かに黙読していた。

すると、

ある一節で「ビタッ」と目が止まった。

 

( 過去は 既に 過ぎ去れども )

( 心の あやまちは 残るなり )

( 他人に 対して 理解をし )

 

 *

   ⁂

   *

  ⁑

    *

     ⋆

学級担任の先生は笑顔で、何か最後の話をしていたと思う。

「早く終われよ」

「一秒もこの空気を吸っていたくない」

「このクソのせいで」

「許さねえ」

「いつまで続くんだ」

「    」

「        」

これが小学生の考えることかと疑いたくなるような暗い言葉が頭の中を駆け巡っていたと思う。

先生が話し終え、

「最後は笑顔で、握手してお別れしましょう。」と言い、扉の前に立つ。

小学校6年間の最後の別れの瞬間が訪れる。

順番とか特にない感じで、「誰からでも良いですよ」なんてことを言われ、皆が戸惑う様子を尻目に、一番最初の一人として僕は躊躇なく先生の元へ歩み寄り、握手をする。

口先ではそれなりの挨拶をしていたと思うが、先生の手を握りながら心では何を思っていたんだろう。

この教室から少しでも早く出たいと思っていたことは確かだった。

悲しい別れだとは思わなかった。

学校の外へ出て、曇り空の下を誰かを待つようにゆっくり歩いた。

本当に長い6年間が終わった。

  *

    *

    ⁂

    *

      ⁑

     *

      ⋆

子供時代を思い出す時は必ずと言っていいほどこの教室での別れのシーンが思い浮かぶ。そのことがつらいとか、嫌だったとかという風な気持ちになるわけでもなく、普通に懐かしい思い出の一コマとして。

思い出の一コマなんて他にいくらでもあるのに、過去を振り返ろうとするとき、このシーンだけは決まって浮かんでいたことに、この日初めて気が付いた。

 

( 心の 過ちは 残るなり )

 

ここに心の過ちが残っている。

あえて覚えていたいような思い出でもないはずなのに、このシーンが何度も繰り返し浮かんできていたことには理由があったのだ。

だから

 

( 他人に 対して 理解をし )

 

先生の立場に立って理解してみよう。

初めてそんなふうに思えた。

ーーその当時は悪魔にしか見えなかった彼女だが、本当は教師としての理想を持っていたのではないか。

生徒たちに愛され、笑顔に満ちている女性が思い浮かぶ。

ーー「幸せになりたい」と願っている同じ一人の人間として、思うようにいかず苦しんでいたのではないか。

一人深い悩みを抱え苦しんでいる孤独な女性が見えて来る。

ーー本当はどんな理想を持っていたんだろう。

ーー生徒たちをどんな目で見ていたのだろう。

ーーどんな思いでその後を生きて、死んでいったのだろう。

 

( 自分に 対しては 反省せよ )

 

先生との関係性の中で、自分が正すべきことがあるなんて、考えたことなかった。

一方的に裁いて、一方的に被害者の立場を取り続ける。

     *

    ⋆ ※

«だってそれが真実じゃないか»



«悪いのはあいつだ»



«僕は悪くない»

 

  *.

   ※

  *

子供時代の自分の声が聞こえてくる。

これって左翼っぽい。

子供時代にそんな自覚なかったし、子供に左とか右とかないと思い込んでいたけど、振り返れば振り返るほど左翼だな。正義の立場で悪と戦っているつもりでいたけれど、

実は、、、

・自ら進んで被害者の立場を取って、相手の悪性を強調する。

・自分が弱者であることを大義として闘争している。

・正義=強者への攻撃。

・自分がそのポジションを取り続ける限り、いくら相手を攻撃しても自分が悪になることは無いと思い込んでいる。

      *.

     *

    ⋆ ※

«だから僕は不幸でい続けなくちゃいけない»

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   ※

  *

段々と思い出してきた。

当時の僕が選んだ戦い方は、

「相手を如何にして憎み続けるか」

今はもちろんそんな考え方はしないが、当時は「罰を与えること」が悪に対する正義だと思い込んでいた。

それは、罰によって飼い慣らされるような歪んだ教育によって宿された、歪んだ正義だった。

      *.

     *

    ⋆ ※

«悪い奴は永遠に裁かれなくちゃいけない»

 

ーー憎み続けることが相手への罰?苦しんでいるのは自分?

 

«僕は虐げられた被害者だ»

 

ーーよく耐えたし、苦しんだ。

当時、沢山の友達も一緒に苦しんだ。

あなたは苦しむ友達を見て見ぬ振りが出来なかった。

とても優しい良い子だ。

苦しんでいる友達、誰からも優しくされず、孤独のなかにいる友達に優しさをあたえた。

自分が苦しいとき、寂しいときも、変わることなく愛を与えていた。

 

≪子供は皆、傷ついていた≫

 

ーー先生は?

 

≪先生も傷ついていた?≫

 

  *.

   ※

  *

先生は完璧な存在ではなかった。

当時の僕は、大人=完成した人だと本気で思っていた。

先生もまた一人の人間で、悩んだり、苦しんだりするなんてまるで想像できなかった。

大人も子供も同じ一人の人間同士として、見ることはできなかった。

今、先生に対してしてあげられる救いは何だろうかと考えた。

それは、当時の先生の思い描いていた「理想の教室」を心の中に作り上げることのように思えた。

それが、先生が求めていた「幸せ」だったんじゃないだろうか。

 

教壇に群がる沢山の笑顔の生徒たち。

可愛い生徒たちに母のように慕われ、自分もまた、我が子のように慈しむ。

一人一人が宿された輝きをのびのびと放ち、すくすくと育っていく姿を毎日目を細めながら眺めている。



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     *

    ⋆ ※

⦅そんな教室を作りたかった⦆

 

⦅優しい先生になりたかった⦆

 

  ⦅幸せになりたかった⦆

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   ※

  *

先生の思いが伝わってきたような気がした。

先生が今も、苦しんでいる。

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     *

    ⋆ ※

«僕もそんな教室で過ごしたかった»

  

  «先生と仲良くしたかった»

 

«先生と同じように、幸せになりたかった»

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   ※

  *

当時の僕と、先生の思いが一体となり、涙になって、両目から溢れ出していた。

 

( 自他は これ 別個にあらず 一体なり )

( 共に 仏子の 兄弟なり )

 

当時あの教室にいたのは、怒り狂う大人に恐怖し、或いは反発する子供たちと、

子供たちの扱いが分からず、自分自身の扱いも分からずに苦しんでいた、大人の姿をした一人の子供だったのだと今になって思える。

皆、傷ついていた。

先生も苦しんでいた。

そして、救いを得られないまま亡くなった。

正しく生きることが出来ないまま一生を終え、今も苦しんでいた。

 

      *.

     *

    ⋆ ※

«傷ついている孤独な子供を助けたい»

  «先生を助けてあげたい»

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   ※

  *

先生のことを、同じ一人の人として見れる。

そして、その瞬間にもう許して、友達と同じように、優しさを与えようとしている。

 

主 エル・カンターレの御名において。

当時の恨みつらみを手放す。

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     *

    ⋆ ※

 

    «先生»

 

  «ごめんなさい»

 

«もっと優しくしてあげたかった»

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   ※

  *

 

( しからば 共に 愛し合い )

( しからば 共に 生かしあい )

( しからば 共に 許し合え )

 

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     *

    ⋆ ※

 

    ⦅とものり⦆

 

  ⦅ごめんなさい⦆

 

⦅もっと優しくしてあげたかった⦆

  *.

   ※

  *

 

( これは 久遠の 法にして )

( 現在・未来を 貫いて )

( 闇夜を 照らす 光なり )

 

先生に主の慈悲の光が及ぶよう祈りを込めて、正心法語を読み上げた。


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20分程度の短い時間であったと思う。

24年間放置していたわだかまり、恨みつらみが、愛と感謝に転じ、僕はあの教室で先生と涙を流し、握手をし、抱擁しあえた。

子供時代にわだかまりを残したままの人はまだきっと沢山いるけど、大切な一人と心の中において和解をすることがようやくできた。

卒業の日の暗い思い出を背負った子供は、もういない。

一人、また一人と、丁寧に、誠実に向き合って、心の重荷を降ろしていこうと思う。

 

得難い学びの機会を与えてくれた恩師への感謝と冥福を祈る。

きっと、本当にとてもとても大事なことだから、忘れられないような形で与えられた神仕組みだったのだと思う。

何年も何十年も時間をかけて受け止めるべき、人生の問題集の中の一問であった。