心のスケッチ  佐々木大記

真理探求作家の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学「ジル」を電子書籍出版で連載開始。http://pr4.work/3/jill(10/24)

9.25(火) ここぞをおさえず

スイッチが入ったように幼稚化する男。

田舎の友人が出張で東京に来た。

奴と仕事終わりの板前の友人と22時ころ合流。

20代の多くの時間をともにしたメンバーってことで板前は飲む前からテンションが高い。「高級店の店主」という肩書を外して過ごしたい気持ちは分かるが、ややうざい。そこまで幼稚じゃなかっただろうっていう言動が一晩続いていた。日頃のプレッシャー故の反動としても、ここでそれをぶちまけるかね。

3人で集まった時だけ必ずそういう発散の仕方をするようで、めんどくさい。

だがそれは彼のほんの一面に過ぎないし、いちいち目くじら立てるようなこともせず、一晩を楽しく過した。

普段から何かを抑圧して生きていると、こういう時にこういう形で歪みがでるのかと、興味深く観察させて頂いた。

本人は恐らく「ここぞ」とばかりに屁をすかす位の感覚で解放していたのだと思うが、恐らく普段のふとした瞬間にガス漏れは起きている。

「旧友3人で集まる」っていう特殊な条件が成立したときの解放よりも、むしろ日常の隙間から漏れ伝わっている部分的な毒の方が、潜在的な悪性を匂わせるという点で周りに恐れや嫌悪を抱かせるだろう。

人は部分から全体を、影から実像を断定しようとする生き物だ。そもそも全体をきちんと見ようなどという忍耐強く生真面目な人はいないもんだ。

それ故に常日頃の振る舞いによって、善き全体を一部表現し、多くの人を味方に引き入れる心がけが大切になる。
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「ここぞ」というときだけ演じようとするのではない。普段の中にその全体像を匂わせる振る舞いを散りばめ、それを習慣化し、無意識を調教しておくことで、「ここぞ」のときに自然に本物を表すことが可能となるだろう。