心のスケッチ  佐々木大記

真理探求作家の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学「ジル」を電子書籍出版で連載開始。http://pr4.work/3/jill(10/24)

10.6(土) 200%でも妥協は妥協

松下幸之助さんは一日3〜4時間程度しか寝ずに常に事業経営のことを考えていたという。

仕事の都合で僕も睡眠時間はそんなものだが、土日には限界が来て、ドカッと昼寝する。

気がつくと16時だった。

だらしなさからの睡眠欲というより生存本能からくる強制シャットダウン。

ギリギリまで自分を使っていることは確かだと思うのだが、本来の目的が前進しているかどうかはまた別問題である。100%一日の時間を自らの使命の為に使えるわけではないとしても、それを言い訳にせず、本来の自分の仕事にエネルギーを投じていかなくてはならない。それがまだまだ充分にできていない。

自己完結の世界の外へ踏み出し、救済への強い願いを魂に刻む必要がある。

自分の完成させた多くのステップが、たくさんの人達を救う「約束」があるんじゃないのか。その責任を自覚するには捨てるべきものがあるように感じる。

 

松下幸之助さんがそれほどまでに事業経営に心血を注いだ理由も、自分を越えた社会的大義にあったはずだ。「そういう大きな仕事を男として成し遂げたい」という野心的気持ち、「自分の力を誇示したい」というような心情ではなく、使命感や責任感、「約束を果たさなければならない」といった気持ちがあったのではないだろうか。与えられた才覚に対する責任の自覚があったのではないだろうか。個人的欲求でできることではない。

自分の場合はどうだろう。

「人から良く見られたい」という欲求はかなり強くあった。自分の人生において何者かになりたい。自信が欲しい。自分を高めたい。認められる人生が欲しい。

健全な成長欲求だったとは思うが、その名残をまだ引きずって、世のため人の為に生かすべき力を出し切れていない。

意識を自分から自分以外の他の多くの人や、世の中へもっと強く向けていく必要がある。

自分を見せつけたい、自分を満たしたいという欲を一切なくする。

自分自身を虚しく、小さく、透明にし、静かな心で、自分ではなく世の中を満たすために、神仏の願いを満たすために、自分自身を生かす。

本当にまだまだ未熟なんだなとつくづく思う。

しかし振り返ってみると、それ以下だった意識の低い過去の自分が見える。

亀のごとく愚鈍ではあるが、その進みの遅さによく耐えながらここまでやって来たなと思う。その忍耐心だけは自分でも褒められるかも。

 

最近は諦めの悪さが不動心に転化しつつある。ある意味開き直りなのだけど、一定の年数を耐えた非常識は簡単には折れないレベルに到達している。そこで満足するわけにはいかんのだけど、一里塚として自分に自信を付与してやってもいいかなという気持ちはある。

自己満足と言われればそれまでだが、私利私欲でこんな生き方できるもんじゃない。

社会に適合できずに逃げているわけでもない。

会社員をやめる決意をしたときを思い出す。

上司に仕事能力を買われ、出世の道が開けたときに、内心の決断を迫られ、本当に自分の歩みたい道を選んだのだった。それまでは中途半端な立場でいられたから、自分の本当にやりたいことに完全に身を投じていくでもなく、「いつか」という言い訳の人生を生き続けていた。

今一度自分自身の内心に決断を迫るべき時なのかもしれない。

いつまで「いつか」の理想を温め続けるつもりなのか。

あの頃のように決断しなくてはならないような状況が外部から与えられることはない。

いつまでも「いつか」の人生を過ごすことができるなかで、頼ることが出来るのは自分自身の思い意外に何もない。

不器用を言い訳にするのも自由。

能力不足を言い訳にするのも自由。

言い訳ではなく、正当な理由だったとしても、

100%以上の努力をしていたと しても、

120%でも200%でも、妥協は妥協なのだ。

求められているのは今や過去の自分を基準にした全力ではない。

未来の約束に基づいた誠意はどこにあるのかを真剣に求めなくては、今を越えていくことはできないだろう。

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もはや厳しさだけが希望である。

そんな自分が大好きなんだけどね。