経典『凡事徹底と静寂の時間』を読み返していた。

凡事徹底と静寂の時間 ~現代における“禅的生活"のすすめ~ (OR books)
- 作者: 大川隆法
- 出版社/メーカー: 幸福の科学出版
- 発売日: 2016/09/17
- メディア: 単行本
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謙虚さについての説法が印象に残る。
なぜ先生は謙虚なのかとよく言われるが、謙虚なのではなくて、
己の力の足りざるを身にしみて痛感しているのである。
本当は地球規模での活動をしたいのだが、まだまだ一般レベルにも届かないような状態だ。
と、そんな感じの内容。
この経典のテーマからすれば、「志の大きさの大切さ」について考えるべきところなのかもしれないが、この日は「先生の本当の願い」に焦点が合った。
他の経典では「国連レベルを目指している」と話していたことが心に残っている。
…いや、ちょっと待てと。
「心に残っている」ってなんだ。
この経典を再読してなかったらそもそも「心に思うこともなかった」ってことか。
全然ダメなんじゃないか。
本来の目的と使命を主と同じくしないまま、目先の目標にアタックし続けている状態で「主と一体になる」ことなんてできるはずがない。
ましてや自分にいたっては、目先の目標はおろか、自分の心のコントロールにばかり目を奪われている。
完全にずれているじゃないか。
このごろ「今っさら」ていうような気づきが続々と与えられる。
いや、
気づけたってことは本当にありがたいことなのだが、、
にしてもレベル低いなぁ
分かっているつもりで分かってないこと、本当に多い。
というより、ほとんど何も理解できてないんじゃないかとすら思える。
でも未熟さを嘆いてばかりいてもなんの生産性もない。
もともと「先生の理想実現のために自分を生かしたい」っていう気持ちは本能的にあった。
この本能に真剣に向き合うことで自分のなすべきこともはっきりしてくるんじゃないか。
結果として同じように目先の目標にアタックすることになったとしても、志が違う。
潜在意識(本能)の願いと表面意識(意思)の願いを一致させよう。
それは、仏の願いと自分の願いを一致させることと同義であるはずだ。
潜在意識の中核にある仏性(仏の性質)には仏の願いのかけらが宿っている。
自分の本物の願いは必ず仏の願いの中の一つと必ず一致するはずだ。
そうであるならば、主の願われている教団の未来にもっと目を向けよう。
そこに本来の自己を映し出す鏡が現れるはずだ。
「何でも良いからお役に立つ」っていう感じじゃなく、「生かすべき力」をきちんと使わないといけないっていう気持ちがある。
主を知り、自分を知ろう。