心のスケッチ  佐々木大記

真理探求の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学を現在制作中。近々電子書籍で第一話を発表予定。(2019.09.27)

10.23(火)主の願いと自分②

幸福の科学の未来。

先生の願いに視点を合わせたら、考え方が変わった。

「使命」って、自分の得意なことや、好きなこととか、自分ができることとは、関係ないんじゃないだろうか。

関係あったとしても、それは結果論でしかないような気がする。

幸福の科学という団体が世界で果たす役割、目的、使命について、先生が願われていることについて、真剣に考えを深めていく。

「先生はこうしたいのか。」

「じゃあこういうことやる人が必要だよな。」

ていうように考えを巡らせていると

「お助けしなくては。」

ていう使命感がふつふつと湧き上がってくる。

 

それが今まで自分が考えていたようなやり方や、やること、得意不得意、方向性に一致しているかどうかよりも、

「世界が真に必要としている」

「助けを求めている人がいる」

「先生が救いたいと願っている」

っていうことのほうが圧倒的な引力となって自分を鼓舞し、突き動かそうとする。

 

自分がこれまでどんな生き方をしてきたか、どんな人間かという、現在の自己認識にとらわれていると、いつまで経っても真実を見ることはできない。

本当の本当に自分がなすべき使命は、仏と繋がっている仏性が知っている。

だから仏の願いに心を合わせなけれ見えないのだ。

当然だが、先生は自分がやりたいことをやろうとしているわけではない。

世界がこの時代において本当に必要としている救い。

時代精神の救済にその身を尽くそうとしておられる。

仏の慈悲は広がりて

政党や学園、宗教本体や芸能文化事業など、様々な形となって救済事業が展開しているのは、たとえ出来ないことであっても努力によって自らを引き上げ、時代の求めに応じているからであって、やれることだけに手を出しているのであれば、そうはなっていないはずだ。

救済のために必要とあらば自らを変化させ、今までになかったものをも生み出していく姿勢こそ、慈悲の権化そのものであり、弟子はその姿を追って自らを限りなく新生させていくことができる。

それが、仏の子に与えられている創造力であり、慈悲の力。

地球神の力。


f:id:ssktmnr:20181027132754j:image

慈悲の力を現代では幸福の科学の多様な活動を通して見ることができるが、この力は現代のみならず、人類史の始まりをも超え、宇宙の始まりのそのときから、宇宙の命として存在し続けている。

 

その力は人類史においては、仏教や儒教キリスト教イスラム教など、様々な時代や地域に適した形で現され、人々の心を守っていた。

これらは現れ方こそ異なっているが、元は仏から放たれている一つの光であり、慈悲によって地域や時代に合わせた形に分かれた結果、違いとなっているに過ぎない。

この真実を知ることで、それぞれの宗教は違いを争いの原因とするのではなく、違いを仏の慈悲の現れとして互いに祝福し合うことができる。

千年単位で争い続けている彼らが知るべき「統一の真理」を携えて、先生は現代に救世主としての使命を果たすために生まれ、活動をしている。

故に、幸福の科学は本来の使命からすれば、もっと大きな地球規模での力を発揮できるようになっていく団体であり、その根拠としての「統一の教え」が既に説かれている。

世界中のキリスト教徒やイスラム教徒が、この統一思想に辿り着くことができたら、宗教の違いを原因とした争いは地球上から消える。

 

先生はその本来の使命にまだまだ遠く及んでいないことをもって、「自らの力が届いていないことを身に沁みて実感している」と、『凡事徹底と静寂の時間』のなかでおっしゃられている。

 

「救いたい」という思い一つで下生された主が、救世主としての仕事を十分に果たせずに悔やんでいる姿を見て、

「先生はなぜ謙虚なんですか」

などと弟子が質問するのは、認識が低すぎるのだと思う。

 

認識を改めなくてはならない。

今までの自分を中心にした考え方、主の願いを小さな自分のレベルに引きずり降ろした考え方を反省し、主の描かれる大きなビジョンをもっとすなおに受け止め、そこから使命を感じてみよう。

その求めに応じて自分を合わせ、変化させていこう。

 

主と同じ夢を見たい。

共にこの時代を駆け抜けたのだと言い切れる人生を全うしたい。