心のスケッチ  佐々木大記

真理探求作家の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学「ジル」を電子書籍出版で連載開始。http://pr4.work/3/jill(10/24)

11.10(土) 経典との対話『吉田松陰「現代の教育論・人材論」を語る』

 

永遠普遍なる真実に生きる。

それは心の世界を生きること。

誠の心を生きること。

 

結果、行い、方法論といったものは副産物に過ぎず、その「原点なる心」は如何なるかを常に問いかける。

人様から見られ、天から見られ、決して恥じることなき心であるか。

その行いにより、一歩でも真実の人生に近付こうとしているのか。

あなたが天より見つめられ、問われているのは、口先の饒舌さや演出の完成度などではなく、光である。

光は仏の命。

仏の命である真実の光を、目の前の一人の心に吹き込むことが、愛の本質なのだ。

愛ありてこそ光は姿形を変え、その一人の心にまで行き渡る。

教育となり

政治となり

芸術となり

言論となり

科学となり

一つの光は仏陀の教えとして千変万化し、一切の衆生めがけて広がってゆく。

 

あなたが真実愛を与えることができたなら、彼は心に宿した真実の光を自ら高く掲げ、偽りなる闇を照らし、偽りの自己を明らかにし、真実の人生へと歩んでゆくことができるだろう。

 

吉田松陰は人生そのもので天上界の存在証明をしているようなところがある。

真実の人生観を掴みきっているからこそ、あれ程までに激しく、厳しく、ときに世人の理解を超え、ときにこの世の常識や法をも冒し、自らの生命を燃焼しつくすことができた。

この世とあの世を「誠」の一文字で貫いたその生涯は、一切の偽りを許さない真実そのものであった。

その生き様に真実を見た若者たちは目覚め、革命の時代を作り、明治維新成就へと道を切り開いていった。

 

天上界の存在を信じず理解できない人間にとって、命を棄ててまでして革命への道を開かんとした松陰の思考を、共感することも理解することもできないだろう。

「あまりにも激しく傑出した人物であったから、凡人には理解の及ばない行為に至ったのだ」

と、いい加減な理屈でまとめて通り過ぎてしまって良いほど、彼の残した遺産は軽いものではなく、その偉業は現代の僕たちの自由に直結している。

たとえ傑出した情熱の持ち主だったとして、命を棄ててまでして日本の未来のために真実を訴える道理が説明できるだろうか。

自分が死ぬと分かっていながらも、自らの主張を引き下げない松陰に対して、当時弟子たちは猛反対して止めに入ったが、松陰は一切聞く耳を持たずに、死を選んだ。

自らの生を否定してまで迷いなく志と誠を貫く人間にとって、この世の常識や幕府によって定められた国禁など、取るに足らないものでしかなかった。

永遠の真実の人生を生きる人だったからこそ、命を賭して日本に目覚めを与えんとしたまでのことだったのだろう。

その精神は松陰の絶命とともに肉体から開放され、志ある若者を奮い立たせる霊的うねりとなって、日本中を駆け巡った。

ただ単に命を棄てたから、そのインパクトの強さで時代に大きな影響を与えられたのでは決してない。

そういった方法論ではなく、その選択の中に「原点なる心」が嘘偽りなく宿されていたからこそ、死を通して開放された松陰の精神は爆発的なエネルギーとなって日本中を揺るがし、若者の心に仏の命である真実の光を吹き込むことができたのだ。

それが日本を想う松陰の”愛”であり、未来を託した若者たちへの最後の”教育”であったのではないだろうか。

 

死後日本に目覚めを与えた松陰の精神を、「大和魂」という言葉で松陰は辞世の句にしたためている。

 

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置まし大和魂

 

松陰の生死を越えた誠の心に触れ、自分自身の心に真実の光を吹き込みたい。

松陰が死してこの国に留めた大和魂は今も生き続け、未来を担う若者たちを教導せんと欲している。