心のスケッチ  佐々木大記

真理探求作家の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学「ジル」を電子書籍出版で連載開始。http://pr4.work/3/jill(10/24)

11.11(日) 経典との対話『幸福の科学の基本教義とは何か』

 

 今更な経典拝受が続いている。

何となく選んでいるのだが、内容は重いものが続いている。

講義自体は開示された当時拝聴していたはずだが、あまり記憶に残っておらず、

 5年前に発刊されているものを今のタイミングで初めて紐解いているわけだが、遅ればせながらではあっても、大切な教えに出会うチャンスをこうして改めて掴むことができたのは幸運であったと思う。

永遠不滅の「魂」としての生命観と

80年程度の「肉体」としての生命観

あなたはどちらを取りますか。

この問いに対する答えを曖昧にしたまま生きるのをもう止めなさい。

 

このごろ紐解いている経典から伝わってくるメッセージはこの一つであるように感じている。

 

永遠の真理に殉じて生きたい。

そのように思ってはいるものの、「なりきれていない」というのが自分の実態だ。

その中途半端さの解消を、今自分は欲しているのだ。

思わず知らず、吉田松陰にこの頃傾倒しているのは、そこに自分の理想があるからなのだろう。

頭で考えてたどり着ける境地でもないだろう。

そのような考え方に基づいて生きぬいた人物に倣って自分の意識を作り替える。

そして、行動によって思いを固めていく。

この繰り返しの鍛錬をしようとしているのだ。

 

幸福の科学の基本教義とは「神仏から頂いたミッションを遂行すること」であるという言葉を初めて聞いた5年前、この言葉を充分に受け入れることが出来ていなかったし、講義の内容もかみしめることが出来ていなかった。

あれから5年の歳月の中で修行を続け、たどり着いた今の心は、この講義を受け入れることが出来るようで、認識の足りない部分に関しては、さらなる精進を通してどうにか乗り越えようという課題意識を得るに至っている。

 

修行進度の基準としてはもの凄いシンプルで分かりやすい観点だと思うが、この壁を飛び越えて真実に殉じて生きるか、それとも、この世的人生観の中で「そこそこ信仰深い」生き方をするのか。この立脚点の選択を突破することが、今求められている信仰の具体的姿勢なのだ。

 

そんなことを感じながら、仕事場でこの経典を読んでいたら、作業から帰ってきた女の子に「何読んでんすか」と声をかけられた。

「宗教関係すね」と言って、経典の表表紙を見せる。

幸福の科学入ってんすか」

「そっすね」

自分は案外普通に信仰を明かすタイプだったことを思い出す。

きっかけさえあればこんな感じでオープンにしていけるのだ。

あとは、本当に一人一人に対して「救いたい」という気持ちを宿せるかどうかにかかっているのかもしれない。他のところにももしかしたら問題はあるのかもしれないけれど、救済の思いに関しては、確かにまだ弱い。

相手に嫌がられるんじゃないかとか、マイナスのイメージに負けている。

じゃあその心に対して法輪を転じて発展しようじゃないかというのが、本書的発想になる。

 

自分の理想と課題をここまで明確にすることはこれまでできなかったことだ。

「なんとなく」レベルでの認識に基づいて、できることをしてきた感じだが、「いい加減はっきりしなさいよ」といったところに到達してしまったようだ。

むしろ、周りから見た感じでは既に充分はっきりしているのに、自分だけが納得せずに悶々としている状態なのかもしれない。

 

「もう難しく考えるのはやめようぜ。」

そんな声が聞こえる。

思うままに生きれば良いだけなのだ。