九段下の現場に変わって新たにあてがわれた現場は谷中霊園近くのマンション。
日暮里駅から徒歩10分。
ということで、週一回日暮里へ行くことになった。
僕の仕事は現場が固定されているわけではないので、新しい景色がこうして不定期に与えられる。
靖國の次は谷中霊園か。
この世離れした環境にご縁があるらしい。
日暮里は思い出もたくさんある大切な場所だ。
学生時代は洋服を作るための生地を仕入れに問屋街を歩き回っていた。
そして、幸福の科学的には、大川総裁が初めて説法をした始まりの場所がある。
初転法輪記念館
ここは僕にとっても始まりの場所だった。
7年前。
まだ支部にもほとんど行かない(今でもさほどだが)未活動のころだった。
当時ご法話拝聴会の開催があるときくらいは、支部に行ってご法話を拝聴するくらいにはなっていたのだが、2011年11月23日に支部へご法話を拝聴しに行ったときに、当時の青年部長に声をかけられて、初転法輪記念館の存在を知り、そのまま始まりのその地まで連れて行ってもらったのだった。
そのとき強烈な霊体験をしたことを覚えている。
辿り着くと、記念式典が始まる前で、礼拝室の中ほどの席にとりあえず座った瞬間から、なぜだか涙が止まらない。
こういう何の前触れもなく、有無を言わさない感じは初めてだったのだが、自分以外の誰かが自分を通して涙を流していることはなんとなくわかった。
式典が始まり、伝道発願の祈願か何かの時間にその涙はピークを迎えていた。
伝道を志す大きな意志の大河がその場に形成されていくなかで、女の甲高い叫び声のようなものが聞こえた。「やめろぉぉぉ!!!!!!!」とか「いやだぁぁぁぁ!!!!」みたいな発狂して消えていく苦しみのようなものが自分の中で渦巻いていた。
そのあと、青年部長とご飯食べてるときに「活動来ない?」と誘われたのがきっかけで、ようやく「支部の信者」として活動に参加するようになった。
気が付いたら青年部長になってた。
そして、初転法輪記念館でも集いをやる拠点長みたいな立場に立たされていた。
初転法輪記念館でそういうことをしてたのは後にも先にもいないと思う。
ほどなくして休眠したので短い時間ではあったけど。
そんなご縁で、初転法輪記念館はその場に行くと、もの凄く親しい友人に会いに行くような身近さと、神聖な気持が混在する不思議な時間になる。
この地上で先生が法を説き始めた始まりの日の直前に、不思議なめぐり合わせでまたこうして日暮里に導かれたことが、とても嬉しかった。
ということで、久しぶりに足を運んでみた。
一週間後の初転法輪記念祭に向けて磁場が整えられている。
中に入って御本尊に向かって歩いているだけで、自分の霊体がふわふわと心地よい反応を示している。
ご無沙汰してしまっていたけれど、これからは週一で来ます。
誰もおらず、静かだった。
2時間近く一人で経文読誦、お祈り、瞑想をしていたと思う。
なんだかまるでプライベートな場所のようだった。
そう言えば、前の現場から外れたことが転換点になるかも的なこと考えてたけど、切り替わった環境が「始まり」を示していることに今気付いた。
人生7年周期説で考えるとちょうどいい頃合いなのかも。