心のスケッチ  佐々木大記

真理探求の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学を現在制作中。近々電子書籍で第一話を発表予定。(2019.09.27)

11.19(月) 愛の錬金術

気力が出ない一日。
無心で働いて、出来るだけ眠るだけ。
うまくいかないときもある。
心境は、
上下する曲線グラフのように、高いときもあれば低いときもある。
こんな日は低い日。
たが、主観的に低いと思っているだけで、実際は結構きちんとしていることもあるかもしれない。
自己評価をそのときの気分だけで低くするのは慎もう。転んだから掴める藁があるかもしれない。

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「この状態は理想ではない。このままではまずくなるかもしれない。」
そんな危機感を持ちつつ、結構ダラダラ過ごしていた。
どうでも良いようなネット情報を見続けたり、テレビ見たり。
お腹がすいたらご飯を食べて、ねて。
そんな普通の生活を久しぶりにしていた。
普通なはずなんだけど、なんかこれ、動物っぽいなと思った。
「信仰生活って人間が神様に近づいていくための大切な営みなんだな」なんて感じのことをゴロゴロしつつ思った。
放っておけば生きるだけの動物とたいして変わらなくなっていく自分。
どちらが美しく、どちらが醜いのかを心の目で見つめなおすような生活を、観照的生活と言うのだろう。
そういう基準で見るなら、自分は醜いほうに分類される生きかた、というより、考え方で生活をしてきたんじゃないだろうか。

真理の探究に夢中になって、高尚な気持ちに浸るうちに、他人に対する関心や優しい気持ちを忘れている。
いつの間にか真理に縁遠いような周りの人を見下げ、独りよがりの幸福感の中で孤独に生きている。
そういう利己主義者になっているんじゃないか。
そうとも言い切れないところはあるんだろうけど、そういう素質は色濃く持っていると思う。
普段の生活の中での自分の心と振る舞いを省みる限り、あんまり優しくないように感じるし。
ネガティブすぎるだろうか。
でも、
そういう悪い部分が見えているのは実は救いだとも思う。

見えてない悪、気づけていない悪を、見えず気づけないままに苦しみ続ける人生もある。
自分の至らなさに情けなくなり、苦しむ人も数多くいるだろうけれど、「それが見えているということ自体、光をいただいている証拠なのだ」という考え方もある。
光ある中を歩む者は、その明るさゆえに自己の闇を見つけていることがある。
それを、自分にとって「都合の悪いこと」「恥じるべきこと」として見て見ぬふりをしたり、心の中で他人や環境に責任をなすりつけ、自分を正当化し、ごまかして、生きていた時期があった。
その頃は周りの人を随分悪者扱いしていた。随分まともにはなったけど、今もそういう傾向は完全にはなくなっていない。というより、一生の反省ポイントとして日々にチェックし続けるべきものなのだろう。
肉体を持つ限り、生存本能からくる自己保存欲が完全になくなることはないと、先生は仰っていたと思う。
悪者を自分の周りにたくさん作り出す方向で心の創造性を発揮した結果、過去作り上げてきたものは、不幸な自分だった。
悪者に囲まれている人生が幸せなわけがない。
生きづらさ、息苦しさ、不幸な感覚を感じるときは、完璧じゃない自分、間違いや至らなさを抱える自分を、きちんと受け止めよう。
不完全な自分をむしろもっと肯定的に、貪欲に見つけて、受け止めて、許してあげるほどに、他人に対する形式的ではない”確かな”優しさを取り戻していけるんじゃないだろうか。

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他人に対する理解、哀れみ、許し、寛容と、自分に対する許しと反省の意味を今知ったのかもしれない。
反省って自己完結するものだと思ってたけど、自他が一体であるならその影響は必ず他人に及んでいく。
八正道だなんだと自分のことばかり考えてたけど、他人への許しとセットで考えれば、心の浄化と同時に愛の発展をできるんじゃないだろうか。
だとしたら、自分が目を背けようとしていた己心の魔、短所や弱点はすべて、愛に変わることができる。それは、地獄領域の縮小と同時に天国領域の拡大を意味する。まるで錬金術のような話だ。


長くなったけど、今までの自分になかった考え方が紡ぎ出された。
不調で何も出てこないと思ってたけど、反省を入れれば光に変えていけるもんなんだな。

いただいたご指導に感謝しよう。
一日を無駄にせずに済みました。
ありがとうございます。

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