心のスケッチ  佐々木大記

信仰生活の日々に思うことを綴ります

11.26(月)インドラの旅

僕はさまざまなことに関心の網を広げる。
意識をどこに合わせるかで日々の心のスケッチは異なる景色を描く。
英雄たちの精神を描いたり、神仏の愛を描いたり、現代の社会現象を描いたり、自由で縦横無尽だが、中心にあるものは一つの心だ。
ときには自分の心がどこにあるのか、忘れるほどに、一つのことにのめりこむこともある。
その世界にある程度深く入り込まないと、分からないこともあるので、意図的にそうすることも最近はある。
単に、関心を持って学習したり、対話的に思考を紡いだりするだけではなく、実人生を通して一定の立ち位置に身を投じて、違った人生を経験することもあったんじゃないかと思う。
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37年間で見聞した世界は実体験したことではあるけれど、今振り返って俯瞰してみるとその経験の一つひとつは、自分が広げた関心の投網の中にある、一つの座標だったように思える。
深くもぐりこんで、元に戻れなくなりそうになることもあったかもしれないけど、いつ如何なる経験の中にあるときも、心のどこかに真理の光をかすかに感じ続けていた。
今という時間を生きている自分が投網のどこに位置しているのか、どれだけ中心の心に近づいているのかを、自信を持って語ることは出来ないけれど、随分広く長い視野の中で自分を見つめられるようにはなってきたと思う。

この日は経典『ユートピア創造論』の講義を聴いてたから、浮かんでくる言葉が宇宙ぽくなっているのかもしれない。
ユートピア創造論

この投網ってもしかしたら、生まれる前に描いた人生計画なのかもしれない。
普通に生きていたら、今その場所で起きている現実の中で、何かを心に思ったり、感じたりしながら生きるものだが、幸福の科学で説かれている真理の観点から見れば、すべては仮の人生経験としてみることが出来る。
苦しいときや悲しいときもあるだろう。
また、順風満帆に思える喜びのときもあるだろう。
そういう時は意識を強くひきつけられるもので、目の前のその現実が、自分のすべてであるように感じられる。
しかし、やがてすべては夢幻のように消え、中心の心の一部として統合されていく。
今という現実も広大な投網の一部で一つのビジョンを体験している仮の自我であり、投網を投げた主体によってやがては収穫されていくのだろう。
今この世に現れている自分のあり方のうち、どれだけのものが玉として収穫され、石として捨てられるのだろう。
いつか何かのきっかけで自分が順風満帆のときを迎えることがあったとしても、もしかしたら、何も持っていないかに見える今の方が、実在界にもたらしている収穫が多い可能性だってある。
この世の目に見える現実に目を奪われることなく、この世という特殊な修行環境だからこそ出来る、得がたい心の修行をしているんだということを忘れずに生きていきたい。

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