心のスケッチ  佐々木大記

信仰生活において起きる心の変化や動きをスケッチしています。心の変化後に起きる現実の変化や奇跡といった結果よりも、「どういう心の変化がきっかけで自己変革をできたのか」という原因にフォーカスした描写を試みつつ、あれこれ自由に綴っています。要は信仰に基づく自己変革の実況中継と日々のあれこれです。

11.28(水) すべては成長の過程にある

久しぶりに支部へ足を運んだ。
短い時間だったけど、癒された。
支部にいる皆の信仰の姿を見ていると、とても尊く、大切なものを目にしているような気持ちになる。
ありがたい時間だった。
もっと日常的に来れたら幸せなのだが、時間、場所、意識の問題で足を向けることがあまりできない。

自分に割り当てられている限りある時間をどう使うかをいつも考える。
後戻りできない一度きりの毎日の中で、今何にエネルギーを費やすべきなのか。
それを明確に把握して、しっかりと行動に反映させられているか、定かではないが、自分の歩んできた道を振り返ってみると、これで良かったのだと思える。
大切なことは、何を選択したか以上に、選択したものが何であったかをきちんと振り返ることなのだと思う。
選んだ道の先に何があるかは自分の自由になることではないけれど、その時間の中で、何を学ばせていただいていたのかを、振り返るかどうかは100パーセント自分の自由だ。
すべての一日は、振り返って探求することで、必ず自分を成長させるための教訓を掘り起こすことができる。
「あの時こうしていれば良かった」と思えるようなこともあったかもしれないけれど、すべては成長の過程なのだという気持ちで生きて、日々に教訓を探し求めていると、どのような苦難に見舞われようとも、その原因となった過去が悔いになることはない。
もし悔いることがあるとしたら、それだけの学びを与えられながら、成長を許された自分を世の中に役立たせることないまま人生を終えることだと思う。
すべてから学びを得ながら生きる人間として、「自分自身をどう生かすべきなのか」という問いかけは常に心のどこかにもっていなければいけないように感じている。
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主が創造している大きな大きな河の流れがある。
その中のどこに自分の身を置くべきなのか、どこに位置することが、この大河にとって最も好ましいことなのだろうか。
自分を生かさなくてはいけない。

支部で開催していた学集会に誘われたが、中途半端にクビを突っ込みたくなかったので、やめておいた。
学集会とかじゃなく、かしこまらず、ざっくばらんに立ち話をできるような機会が欲しいと思った。
もっといろんな人とおしゃべりがしたい。

12月に生誕館に行く。
自分自身をもっと分け与える生き方に新生できるよう、祈るのも良いかも知れない。
アンパンマンのように困っている人に自分を分け与えることができたら、本当に幸せだと思う。
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アンパンマン瞑想でも考案しようかな。