心のスケッチ  佐々木大記

真理探求作家の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学「ジル」を電子書籍出版で連載開始。http://pr4.work/3/jill(10/24)

11.30(金)奇跡の核

自分の身に奇跡と呼ばれるような現象が及ぶことはたびたびある。
この日は少し違っていて、他人の奇跡の手助けをする、珍しい経験をしていた。
奇跡についての新しい考え方が得られるかもしれないので、少し振返ってみる。
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朝、布団の中で気持ち良く横になっていた。
朝の微睡ほど幸福な時間はない。現実から最も遠く離れた柔らかい天国のような感覚は手放しがたく、10分でも5分でもその時間を味わおうと、ギリギリまで眠ろうとする人は多いんじゃないだろうか。
この日の意識の始まりはそんな柔らかい感覚から始まるのだが、それは同時に違和感を伴うものであった。
「なぜ今日はこんなにゆっくりと、この柔らかい感覚を自覚できているのだろうか。」
普段は布団の中で目を覚ますことはなく、時間が来たら半分眠りながら身体を起こし、身支度をし、通勤をしながら徐々に目を覚ましていくため、自分が布団の中で温もっている状態を認識できる時間はない。
おかしい。もしかして。と思い、時刻を確認すると6時10分。1時間以上の寝坊だった。
どうりで気持ち良いわけだ。
目覚ましをセットし忘れ、安心して眠ってしまっていたらしい。
寝坊なんてかなり久しぶりだった。たいていは目覚ましが鳴る前に起きて、音が鳴る前に自分で解除しているのだが、この日はその体内自動装置が一切作動せず眠り続け、それに加えてアラームも作動せずにいた。
「あまり自覚できていないけれど、日々短い睡眠時間で朝晩働いているから、自覚できていない疲労が溜まっていたのかもしれない」
そんな風にその時は思った。
結局1時間遅れで仕事場に着き、普段と少し違う手順で手早く仕事を片付けて30分遅れくらいで一つ目の現場を終えようとしていた。
いつもであればもう次の現場に向かっている時間に、ごみの分別作業をしていたら、そのビルの受付嬢が現れ、間違って大事な書類を捨ててしまったので1階受付事務所のゴミをあさらせてほしいと頼んできた。
そんなこと言われても、各階のゴミを全部まとめて回収しているので、どれがどれだか分からない。9階建てのビル全部のゴミのなかから1枚の印刷物を探し出すなんて不可能だと思ったのだが、よくよく考えたら、これから分別しようとしているゴミがまさに1階のゴミだった。
作業の開始が遅れたのでいつもと違う手順で仕事を進めていた都合で、たまたま彼女が必要とするゴミを、たまたま30分遅れでその場にいた僕が「これです」という形で指し示してあげることができたのだ。
彼女はそのゴミ袋に目をやった時点でほしいものが見つかったらしく、「あー!これです!」という感じであっさり紙切れ一枚を、漁るまでもなく普通に拾って回収することができた。
あり得ない確率で困っている人を助けることができた瞬間で、まさに奇跡だった。
よりによって月の最後に寝坊したことが、さえない失敗のように感じられていたのだが、それが奇跡の一部として人を助ける結果に繋がったことが誇らしくなった。
すごく些細なことではあるのだけれど、自分自身がとてもうれしかったので、「見つかって良かったですね!」と、幸運な彼女を心から祝福した。




他人の幸運に立ち会うこと、幸運の縁を結ぶ役割を自分が担うことは、とても嬉しいことなのだということを、この朝思い出させてもらっていたのだと思う。
「たまたま運のいい女に出会った」というだけのことでは決してなく、間違いなくこの物語には汲むべき学びが含まれている。

これが、天使の悦びであり、天使の願いなのだ。

僕はいちいちその場で彼女に対して、寝坊がどうだとか、このゴミ袋はあり得ない確率で残されていたものでとかいった説明は一切していない。
「こういう背景だからありがたがってください」的な説明は煩わしいのでしていない。

天上界は聞かれてもいないことを教え給わない。
「求めよさらば与えられん」は法則なのだ。

感謝というのは恩恵が与えられたら受動的にするものではなく、能動的に発見していける努力目標なのだ。
運が良ければ頂けるのではない。
仏の御加護は日々必ず与えられている。
その恩寵を信じ、無償の愛を信じ、うやうやしく祈ることで見つけることができる。
これが真実である。



実はこの日を振り返るにあたって、何があったかを思い出そうとしても、何も思い出せずにいた。
唯一家計簿上に、1時間遅刻による給与のマイナス分が記録されていただけで、エピソードなんて何も出てこなかった。
2日ほど考えて何も出てこなかったので諦めようかとも思ったのだが、諦めた時点でこの一日は無駄になったということを意味する。
やはり絶対に諦めたくない。

必ず、主はこの一日に自分を成長させるための何かを与えてくださっている。
でも思い出すことはもう不可能のように思えた。

「寝坊」というキーワードから思い出された昔の話を広げてみようかと思い、書いても見たのだが、全然しっくりこないので削除した。

いよいよだな。
と思い、祈ることにした。




主よ
私の至らなさ、不誠実の罪をお許しください。
主から頂いた11月30日において何があったかを全く思い出すことができません。
この日私が気づくべきことはなんであったのか、学ぶべきことはなんであったのか、
主より与えられた成長するための経験はなんであったのかを、知るために必要なこの日の出来事を、どうか思い出させてください。
私は主がお与えになられた尊い時間を決して無駄にしたくはありません。
もしお許しいただけるのであれば、私に導きをお与えください。

天上界にましますわが魂の兄弟 守護霊 指導霊の皆様。
この日を通して得るべき大切な経験を私が思い出すことができるようどうかお力添えをお願い申し上げます。




ていうような内容の祈りをこの記事を書きだす前日の寝る前に、祈っていた。
祈りは必ず天上界に聞き届けられている。
そう信じ、感謝して喜びと共に眠りについた。
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そして翌朝(記事を書く当日)朝の作業中、寝坊で遅刻したおかげで小さな奇跡を目の当たりにできたことを「フッ」っと思い出すことがようやくできて、今に至っている。
思い出した瞬間は、自分が前日に祈ったことなどすっかり忘れていた。
自分の頭で思い出そうとしていたら、インスピレーションを受けることはできなかっただろう。

きっと、この祈りによって天上界からのご指導を頂くプロセスも含めて今回の経験はワンパッケージだったのだろう。
だから思い出すことが一切できなかったのだと思う。

とても重要な教訓であり、奇跡のなんたるかを深く知るための経験だけに、それに関係のない一切のエピソードが見事に思い出のなかから消し去られていた。
10日ごしにどうにかこうにかたどり着くことができて本当に良かった。
奇しくも明日12月11日はエル・カンターレ祭で「奇跡を起こす力」という演題の御講演を主より頂くことになっている。
この辺の共時性に授かったことを得意がるつもりは決してないが、今後「奇跡」というキーワードを学んでいく上で、大事な心構えや、インスピレーションの種がこの一連の物語には数多く含まれている。
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たびたび読み返して勉強させて頂こうと思うし、おそらくこの記事を引用して「奇跡」というテーマを深堀りすることも出てくるんじゃないかと思う。というより話を広げたい箇所がかなりあったのだが、もうすでに収集がつかなくなっているのでこの程度で納めることとする。
この記事にある意味結論はないように感じるが、思考を練る「核」にあたる言葉を宿すことはできた実感があるのでこれで良しとしよう。
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