心のスケッチ  佐々木大記

真理探求作家の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学「ジル」を電子書籍出版で連載開始。http://pr4.work/3/jill(10/24)

12.15(金)② 夜

研修初日のプログラムが終わり、自由時間に。
生誕館に来るたびに拝聴している限定御法話「El・Cantare in Kawashima」を拝聴。
限定御法話は3回目なのだが、回数に関わりなくすごく良い。
説法というより主の願いを魂に刻んでいただけるような、特殊な時間だった。
すごく勇気がわいてくるし、今このときから何にでもなれるっていう気持ちが宿される。
この日拝聴していたのは自分ひとりだったけど、同じ時間に「ベガ星の主神 ヒームの霊言」が生誕館のスケジュール組まれていたからなのかもしれない。
僕も渋谷で事前に拝聴していなかったら、ヒームに行っちゃってたかもしれない。
あのときひらめきに任せて受けておいてよかった。
この御法話で主の言葉を打ち込んでいただく事で、「生誕館に来たんだ」っていう実感が100パーセントになる感じがする。
毎年一回は生誕館に行こうと考えているが、もっと頻度が上がった場合でも毎回拝聴するのだろうか。
まあ、そのとき考えればいいか。
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あとはもうさすがに眠るだけだと思ったのだが、同じ部屋になった60代後半のおじさんと仲良くなった。
知らない人と仲良くなれる瞬間って幸せだ。
この方は今も現役信者といった感じで主についていくために人生設計をして修行し続けているようだ。
同世代というか、一緒にやってきた法友も最近はなかなか見かけなくなって一人ではりきっていると言っていた。
布団しいてごろごろしながらいろいろ話した。
横になりながら学生の仲間とお泊りでもしてるんじゃないかというくらい普通に話せてた。
今振り返ってみると初めて会ってこのおどけ具合はなかなかのもんだなと思える。
気さくな方で同じ首都圏の信者で共通の知り合いもいたりと、結構簡単に打ち解けられた。
なにより、同じ法を求めているという一点で気持ちを通い合わせることができるので、修行者どうしの出会いはとてもありがたい。
もっと日本中の沢山の人とこうやっておどけてみたいという願望がある。
先生にも同じような気持ちがきっとあるんじゃないだろうか。
「平凡からの出発」講義という研修会のテープの中で、閉会の言葉が収められているのだが、その中でその研修会に集った人たちとの別れを惜しむ言葉が残されていた。
「できることなら2日でも3日と少しでも多くの時間を、多くの人と語り合っていたい」
研修や合宿で信者同士が熱く語り続けるのは、先生の願いが弟子に憑依しているからなのかもしれない。
憑依という言い方はおかしいかもしれないけれど、修行を深めるほどに、先生の心であるとか、考え方に近づいていくのだから、気づかずとも同じような気持ちに近づいていっているのだと思う。

こういう出会いの話を友達にすると「うらやましい」と言われることがある。
宗教に属して生きているからこその喜びがこの人生にはある。
つい、忘れがちになるのだが、信仰を持たない人にはこんな楽しみを得ることはできないのだ。
疲れも忘れて高速バスを乗り継いで四国に向かう道中から、僕は最高に幸せだった。
ここ3日間で睡眠時間は10時間切っていたが全然かまわない。
行きずりの浮遊霊にいたずらされても全然良い。
最高の環境で精進させていただける今の時代を生きられる喜びは、魂の喜びなのだろう。
こうした魂の喜びの瞬間のない人生なんて考えられない。
んだけど普通の人には一切ないのか。
ちょっと想像を絶する人生観のように思えてしまう。
今この道に入ることができていることに感謝しよう。



相部屋だと落ち着いて眠れないタイプなのだが、事前に忙しく生活できていたおかげもあってこの日はぐっすり眠ることができた。
いつから始まっているのか良く分からない長い一日を終えた。

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