心のスケッチ  佐々木大記

真理探求の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学を現在制作中。近々電子書籍で第一話を発表予定。(2019.09.27)

12.22(土)心の窓を意識する

自分という存在は一つの個性ある窓のようなもので、宇宙を統べる一つの意識が僕という心の窓を通して見る景色の中で僕は生きているのだと思う。
個性ある存在にはそれぞれに世界を見る窓がある。
そこからどこまでの景色が見渡せるかは、個別の認識力によって違ってくるのだろう。
地球という星は宇宙全体を見るための窓になっているというふうに経典『「宇宙の法」入門』で説かれていたと思う。

「宇宙の法」入門 (OR books)

「宇宙の法」入門 (OR books)

幸福の科学では総裁先生お一人の意識で教えが説かれるだけではなく、数々の霊人たちの霊言が開示されている。
歴史上の偉人たちの考え方や、神々の御心、予言者の語る未来、未浄化な霊人の我見など、様々な心の景色が明らかにされているが、これらすべて一つ一つの窓から見える世界を知ることで、人間の多様性、心の多様性を知らずしらず学ばせて頂いているのかもしれない。


自分が見ている世界が世界中の人間が見ている世界と同じではない。

心という観点から世界を捉える人にとっては受け入れやすい言葉かもしれないけど、物質的に世界を見る人からすれば疑問符がついてしまうのかもしれない。
世界は一つなんだから、誰が見ても世界は同じ世界だ。そういう風に考えてしまうこともできるし、そう考える人のほうがもしかしたら多いのかもしれない。
誰だって自分の見る世界を中心に世の中というものを理解する。
その心の窓が曇っていようが、ゆがんでいようが、物凄く小さなものであろうが、自分の窓しか知らず、自分の窓でしか世界を見ようとしない人にとっては、それがすべてになってしまうだろう。
霊言を学ぶたびに僕たち信者は様々な窓から世界を見渡し、心の領域を広げているのだと思う。
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朝、現場に向かう途中幾人もの人とすれ違いながら、彼らにもそれぞれの心の窓があって、それぞれの世界を見て、その中で生きていることを想った。
他人の窓から世界を見るなんてことはあまりしたくないなと思う。
だって、自分自信が濁った眼で世の中を見ていることが多いから。
きっと見るに堪えないものがあるんじゃないだろうか。
それも自分中心の考え方なのだが。

主は常に共にある。
主が、常に共にあるならば、主は僕の心の窓を通してどんな世界を見ることができているのだろうかと考えた。
今までずいぶん醜い世界をお見せしてしまった。
時には曇った窓で、時にはゆがんだ窓で、時にはひび割れた窓で。

少しでも自分が有利になろうとする”せこい”心でいっぱいになっているときがある。
たとえば電車の中で必死に座りたがって気を張っているとき。

「せこっ!!」

なんてふうに主は思われないだろうけど、第三者の目で見たら自分の世界なんてそんなもんだろうなと想像した。
自分が自分がという気持ちでずーっと生きているわけではないが、狭い心になっているときもある。
恥ずかしいなと思った。

主の心でこの窓から世界を見たらどのように見えるのだろう。
想像しきれないことではあるが、そのような気持ちで周りを見回してみた。

愛おしさと悲しさ。
一つ一つの個性ある仏性への愛おしさ。
目覚めずに苦しむ仏性へ哀れみと期待。
そういう目で見られるのかな、とか、自分の頭で考えられる限りではそんな感じだが、そういう目で見るように心がけてみた。

「自分が自分が」っていうせこい自分にはなりにくくなったような気がする。
仏の子としての仲間意識みたいなものが多少できたからかもしれない。


どこまで正しい目で世界を見ることができているか。
この判定はとても難しいところがある。
きっと、本当に正しく世界が見えている人からすれば、世界はとても美しく見えるんじゃないだろうか。

僕の目に見える世界はそこまで美しく映ってはいない。
美しく見ることができていない。
美しさを見出そうとできていない。

「すばらしいな」
「美しいな」
と思うこともたくさんあるけど、
「理解できない」
「きもちわるい」
なんてふうに思うこともある。

心を成長させることが人生の目的であるとするならば、世界を限りなく美しく、輝かしいものとして見ることができる心の窓を日々に作ることが、求められる心の修行なんじゃないだろうか。


地球という窓から全宇宙を見ることができるから、いろんな星から宇宙人が集まってきているのと同じように、この心も限りなく広い宇宙を美しいものとしてみることができる窓としたい。
そういう心の持ち主であればこそ、たくさんの個性を受け入れる寛容な器となりえるんじゃないだろうか。
自分という窓を通して、たくさんの人が世界の美しさを発見し、糧を得られるようになっていきたい。


とりあえず、自分が有利になろうとする心を捨てよう。
奪い合うような心や、自分が得しようとする心や、保身や名誉心。
これらは全部、自分個人に何かを所有させようとするような、独占欲なのだと思う。

無私
無我
無名性

自分というものを去って世界のために尽くす器として生き始めることができたなら、その時から世界の宝の一つとしての本来の自己に目覚めていくことができるだろう。

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