心のスケッチ  佐々木大記

信仰者が日々体験している心の変化を随筆や詩を通して描いてます。34まで会社員でしたが、真理探究中心の生活を作りたかったので頭脳労働をやめ、現在は宗教と哲学を学びつつ、幸福論をテーマとした児童文学を執筆している清掃員38歳です。これまで自分の心の課題や自己変革を基に心の動きを綴ってきましたが、時代に光を灯すべく、世の中を少しでも幸せに映す「心の窓」をここに辿り着いた方へ提供していきたいなと考えてます。(2019年8月30日)

1.1(元旦)仏の愛に仕える奉仕者

12月は旅による多忙や体調不良など、記事更新がまちまちだった。
11月までよく毎日更新できてたな。

でももう新年が明けてしまったし、良いか。
こだわりを捨てて未来へ進もう。
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12月22日移行をざっくり振り返ると、風邪をひき、クリスマスイブからクリスマスにかけてかつてないほどの高熱に一晩浮かされ26以降、治りかけの状態をキープしながら今に至っている。
仕事は26の半日だけ休んで30日まで駆け抜けた。


思い出深い日は27日
2018年最後の日暮里初転法輪記念館への参拝。

まだ身体が重く、礼拝室までの階段も途中途中で休みながらゆっくりと昇っていた。
礼拝室に辿り着き、御本尊前に立つと、身体全身に光が染みわたっていく感覚が伝わってきた。
ネガティブなエネルギーが清め祓われていくのがはっきりと分かる。

冷静に考えれば、世間の常識からすれば考えられないような奇跡体験をしているわけだが、こういう体験は日常茶飯事化しつつあり、何も起きない方がむしろ異常で危険な状態なのだと思う。
風邪を引いて高熱を出したが、これ自体も超自然的な浄化作用だったのだと思う。
熱を出すことでサウナに入るような状態を作っていたんじゃないだろうか。
熱が引いてからはだいぶスッキリしている。
何らかの変容が幽体レベルで生じて身体にも影響が現象化したものと考えられる。

おそらく、風邪をひかずに元気なままでいたら、意識が切り替わらなかったんじゃないだろうか。
そう。実感として、かなり気分が切り替わっていて、今12月の記事を一覧化するなかで振り返っていても、だいぶ古いものののように感じる。
この実感が変容の証左だ。


歯抜けになっている12月の未更新の記事を完成させたいという気持ちもあるが、(下書きはある)当時と今とでは随分意識の隔たりが出来てしまっている。
今研修や聖地巡礼や伊勢参拝など、自分自身にいろんなものを打ち込んでいるので、変わって当然と言えば当然なのだが、こういう急変の時期って体調崩しやすいものなのか、過去の自分を猛ダッシュで置いてけぼりにしているような感覚がある。

一日一日を大切にしたいという思いはあるのだが、やっていることを見る限り、前へ進んでいくこと。前進を最優先しているらしいことが分かる。
どちらもおろそかにするつもりはないけれど、やはり、前進、発展、成長のチャンスは一期一会の部分が大きく、「また後で」というような計画的な考えでチャンスを掴むことは僕にとっては難しいことだ。
「計画的に、底堅く」なんて言ってないで、掴むべきときが与えられたのなら、「運命のそのとき」に受け取るのが従順な姿勢だと思う。
自分のこだわりに固執せず、大切な何かを得るために捨てるという選択をすることも大切だと思う。


ときには退転したかに見えるような選択も要されるかもしれない。
そんなときであっても、魂の虚栄心に惑うことなく、潔く捨てるべきを捨て、掴むべきものを掴むための智慧を頂ける自分でありたい。
その智慧とは、一切の衆生を救わんとする仏の愛に基づくものだろう。
その愛に仕える奉仕者として生きているという自己認識、立脚点を忘れないことだ。
そこからすべての努力や指針、計画、が創造され、人生が運航されている。


「運命のそのとき」をつくり出すために目に見えない様々な助力が働いている。
そうした恩寵の中を生きているということを忘れ、「自分の力で成長していける」というような思いあがった心を知らず知らずに掴んでいることがある。
自助努力とは自分の力で努力していく姿勢ではなく、天上界の助力を頂けるような自分という器を作り、磨きつづける謙虚な姿勢なのだと思う。

すべての実現を感謝の心で迎えることができるような努力の在り方、心構えを大切にしたい。
そういう気持ちがあればこそ祈りを通して天上界の光を地に引いてくることができるのだろう。


なんども繰り返す。
「自分が自分が」という気持ちを遠く離れ、神仏の力を正しく地に及ばせていけるような、「手足としての自分」「触媒としての自分」を目指し、そうあり続けられるような正しき心の探求をし続けるのが、自分に求めるべき幸福の在り方なんだ。
これは道徳的にこうあるべきだと語っているのではない。
自分が何かを得ることで幸福になるという考え方が、思い込みとしてあるけれど、実際は神仏のお役に立ち、他の人に愛を与えられるとき、本当に幸福だと心底思うことが出来る。
そういう忘れがちな「本当の幸福感」に執着できるまで言い聞かせ続けたい。
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