心のスケッチ  佐々木大記

真理探求の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学を現在制作中。近々電子書籍で第一話を発表予定。(2019.09.27)

1.26(土)習慣の母体

新生する習慣

新しい自分を創るために古い自分を棄てる。
無意識にそういう事をしているときがある。
今まで続けていた習慣が途切れるとき、ただ単に怠慢になっているのではなく、実はそれが創造的破壊であることがある。
自分の意思では抗うことのできない流れによって、霊的な導きを得ることもある。
僕の場合病変によってそれが始まることが度々ある。
自己変革に精を出した後の風邪はだいたいそれだ。
身体の自由が効かない状態に追いやって、それまで続けていたあらゆる習慣をいったん止めさせる。
がんばろうとする傾向がなくなるまで。
新しいものを生み出すために、一回その殻を脱ぎ捨てる必要があるのだ。

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ブログを通して自分の考えていることを振り返り、思索することを習慣として根付かせていたが、その習慣が歩調を変えている。
いつもそうだが、習慣の変化は意図せずして訪れる。
いつの間にか軌道修正が入り始め、意識の向きが切り替えられていく。
気づけば10日以上ブログを放置していた。
この間いくつか新しい習慣が産声を上げていた。

第一子は時間の記録だった。
これは二年前、数ヶ月の間続けていたものの再開になる。
一日を通してどの時間にどんなことに時間を費やしていたかをざっくり振り返られるように記録をする。
データを確認したら2017年1月28日から8月27日まで続いていた。
1月28日に銀座で受講した連続セミナーで出された宿題としてやり始め、面白かったのでしばらく続けていた。
なつかしい。

出題元はピーター・ドラッカーの「汝の時間を知れ」ってやつだったと思う。

曰く、成果を出す人間は仕事から始めるのではなく、時間から始める。
計画を立てる前にまず、自分の一日の時間の使い方を振り返り、何が起きているかを知る。
すると自ずとやるべきことが見えてくる。
無駄な時間を削り、大切な時間をまとめる。

そんな感じの趣旨だったと思う。


再開してもう4週目になるし、習慣としてしっかり根付いたようだ。
再開のきっかけはあまり覚えていない。
ブログ記事を書くときに自分の記憶をたどる手助けとして役立てようとしたのか、「なんとなく」の再開だったのだが、これは霊指導だったのだと理解している。

信仰生活はささやかなことの繰り返しであることがほとんどで、朝夕のお祈りであったり、すきま時間での教学であったりと、日常生活に溶け込んでいる。
それをいちいち振り返ってやったかやらなかったかを確認するようなことはない。
やって当たり前のことだと思っているし、やれないときがあってもそれは仕方のないことというくらいにしか思わない。(人それぞれだと思うが、僕はそうだ)

だが、「記録」という毎日確認できるような形があると、感じ方が変わってくる。


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こんな感じで信仰に関わることや、印象に残ったこと、反省すべきことなど、ぱっと見で振り返りやすいように色分けしている。


例えば、ささやかなお祈りであっても毎日繰り返すことで、記録上に「お祈り」の色が増えていく。
一日にしてみれば小さなことだが、毎日の積み重ねなので、一週間分が貯まるとその時間帯に大きなまとまりが出来て、それなりに嬉しい気持ちになる。
逆にできない日があると、シート上に空白ができ、とてもさみしくなる。

ただ記録しているだけなのだが、毎日目を通すうちに無意識レベルで良い色は増やして、悪い色は減らしたくなる。
そして、毎日やるべきことは規則性を設けて同じ時間帯に大きな色のまとまりを作りたくなる。
つまり、良き習慣を作りたくなってくるのだ。

いくつか生まれた新しい習慣の一つ目として、この「時間の記録」があったのだが、ある意味これ自体が母体として、善き習慣を生み出す装置になっている。

記録を続けるうちに分かってくるのだが、毎日やらないにしても、ぽつぽつとまばらに良い行いの色が点在していたりする。
これは規則性を与えることで習慣化できる善行だ。
或いは、必ず一定の空白ができる時間帯があることに気づいたりする。
これは、善行が定着していないだけで、すでに規則性があり、中身を統一することですぐに習慣を生み出せるスポットだ。
なんてこと考えてやっていたわけではないのだが、後付けで説明するとそういう感覚で新しい習慣を創造していたことになる。

習慣の成長

生み出された習慣はお祈りの時間と場所や、教学の時間と場所、というようなものが主なのだが、一定の時間と場所を繰り返し使えるようになると、今度はその場で生まれた習慣が成長するようだ。
繰り返されることによる「安定感」が良い土壌を育み、そのうえで営まれる習慣が一つの磁石となって波長の合うものを引き寄せ、習慣の中に取り込み、バージョンアップをする。

具体例を一つあげると、毎週一度の初転法輪記念館で「誓願」する習慣があるのだが、その習慣が今年に入ってから成長した。
誓願前の時間で一週間を振り返る時間をとっていたのだが、その時間を使って『青銅の法』公案研修の公案を、週に一つずつ、じっくり参究するっていう組み合わせができ、定着してしまった。
べつに「習慣化しよう」っていう意図はなく、ちょっと振り返りたいなと思って研修資料を持ち歩いていたのがきっかけなのだが、誓願の習慣そのものが磁力を強く放っていたようで、その中に組み込まれる形で習慣化してしまった。

というようなことがちょいちょい自然に起きていて、結構面白いことになっている。

ドラッカーは「汝の時間を知れ」と言葉を残したのかもしれないが、さらに踏み込んで「汝の習慣を知れ」という課題にいつの間にか取り組んでいる。
マーフィー理論も含めて習慣の力、習慣の創造性を探求する価値はありそうだ。
なんてったって机上論ではなく、自分自身の日々のモニタリングによってその力を試せるのだから面白い。

マーフィーは霊言の中で習慣と心の力の関係について触れていた。
それがどういう意味なのかは理解できていないが、自分自身で実践と探求をしていく中で何か掴めると思っている。
決してこれがメインの取り組みになるわけではないが、いろいろ行動していくバックグラウンドでうっすらと研究したいテーマである。

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