心のスケッチ  佐々木大記

真理探求の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学を現在制作中。近々電子書籍で第一話を発表予定。(2019.09.27)

奇跡論

環境が変わった。

朝一番目の現場の専任者の採用が決まり、他の現場に行くことに。
(僕は専任担当が決まっていない現場に行く代行勤務要員として動いている)
半年くらいずーっと変わらなかったんじゃないだろうか。
心を変えたタイミングでいつも現場が切り替わるので面白い。

去年から現場が変わるたびにどんどん仕事量が減っていく傾向にあり、すごい楽だ。
おかげさまで、仕事してる時間より、自分のために使っている時間のほうがいつの間にか多くなっている。しかも圧倒的に。驚くほどの自由を得ている。


「こうあらねばならない」っていう固定観念を手放した程度に応じて現実も変わりやすくなる。

僕はある意味常識から外れた世界を生きている。
考え方。働き方。生き方。すべてが一般的ではない。
常識から外れた立場から自分がかつていた常識的な世界を振り返って見ると、とても狭く見える。
本当は如何様にでも生きていける自由が”頭でっかちな常識感覚”で狭められ、可能性に反応することできなくなっていた。

極端に言えば、なんの分岐もないアミダくじをひいてるような感じ。答えが限られていてあり得ることしか起きない世界。

アミダくじの分岐を増やしておかないと奇跡は臨みにくい。そのためにはあらゆる可能性を認めておくことが肝心だ。
特に、「これは無理」と決めつけているような選択肢に対して考え方をオープンにしておくほうが良い。
「もしかしたら思ってるより難しくないかもしれない」とか
「実は自分にしっくりくる環境や人との出会いが予定されているかも」とか、
前向きな見かたに改める。
今までにないことがわが身に及んでも良いと考えておく。
奇跡が自分に及ぶことを許可しておくと、アミダくじの分岐はより自由な縁起の道筋をたどることが出来る。
隣の縦棒を飛び越えて三つ先の縦棒に繋がることだってありえる。
平面の世界で生きているうちは無理だけど、立体の世界観をもって考えれば不思議ではない。一次元高い視点で縁起を結ぶのだ。

苦難困難ドンと来いで「得るためには何でもやってやる」と意志を固めるのも良い。(僕はこれがお気に入りだ)
恐れや悩みで未知の選択をできずにいると可能性の分岐は一気に狭まる。逆に言えば一気に広げるポイントがここにある。
天使の世界に悩みや恐怖心はないのだから、天使と繋がり、助力を得るためにもこのマインドは切り離したい。
大抵の悩みや恐怖心は実態が分からないことによって人間の心の中で創造されているので、実態を丁寧に観察すれば消える。
何が問題かを書き出して、今できることから順に着手するだけで良い。先の読めないこと関しては考えても仕方がないので考えない。
どうしても考えに浮かんでくるときは気晴らしをしていったん追い出す。

悩みや恐怖心は思考を停止させると消えるので、ときにはバカになるのもお勧めだ。
バカになってしまえば薄氷の上でも機嫌よくずんずん前進していける。

思慮深く生きない事による不幸もあるが、考えることで生み出している苦も結構多い。

不幸を呼び込むようなネガティブな考え方をするくらいなら、バカになって何でもアリにした方が楽でファンタスティックな人生を経験できるだろう。ある意味での無我の境地だ。
ただし、前提として心の浄化と明確なゴール設定、もしくは方向性を持っていないと欲望に翻弄されながら流されていくホントのバカになってしまいかねないので注意が必要だ。
自由を担保するための戒はぜひとも確保しておきたいところだ。

そもそも悩みなどないと考えても良い。
それは悩みではなくパズルやクイズのようなもので、本来苦しみの原因ではなく、謎解きを通した自分の内にある宝探しをしているのだ。
しかも正しい信仰に生きる限り、必ず答えと成長が約束されているので、悩む必要性がない。

自分自身をポジティブにし、ポジティブな関心領域を日々に広げておくことで、とにかく光の通り道を活性化させておきたい。
様々な要素が絶妙なブレンドで混じり合って、良い時に良い縁が結びつくことが可能になるように。

他力が必要なとき、天使たちが手助けしやすいよう、心の環境整備をいつもしておくことも、自分でやっておける努力=自由の範疇だ。

霊的人生観を深めるほどに、努力と発想を立体的にしていくことができる。
奇跡は霊天上界にある。
天上界にあるものを地上に降ろすには、天上界と地上を同通させる必要がある。
そのために努力や発想を「天上界的」にするのだ。
天上界も地上もどちらも思いの世界であることに変わりはない。
思いの中身の違いが二つの世界の違いになっているので、その違いを解消することで、同通させる。
天上界にない悩みや恐怖心や執着心を自分の思いの中からなくしていく。
老病死も奇跡の波長にはそぐわない要素と考えられる。
日々に若返りの一手を打ち、加齢に逆らうのも立派な常識破壊だ。
健康状態を保ちつつ、永遠の生命観をもって生きる。

このくらい認識改造をしておけば、そんなに念力をつかわなくても奇跡は手足を動かすかのように自然に及んでくるんじゃないだろうか。

僕の実感では、奇跡は起こそうと思って起こすものではない気がしている。
いつもいつの間にか起きている。
高次元で作用している体質みたいなものなんじゃないだろうか。

今もちょうど支払わなきゃいけない大きめのお金の支払い期限なんだが、キチンと必要な分が引き寄せられて明日振り込まれることになっている。
ありがたい事なんだけど、とても自然に作用している。


奇跡について思いつくままに書き連ねた。




一昨日の万歩計チェックしたら奇跡的な歩数だった。
よく見ると日付も分解して足すと7だ。

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