心のスケッチ  佐々木大記

信仰者が日々体験している心の変化を随筆や詩を通して描いてます。34まで会社員でしたが、真理探究中心の生活を作りたかったので頭脳労働をやめ、現在は宗教と哲学を学びつつ、幸福論をテーマとした児童文学を執筆している清掃員38歳です。これまで自分の心の課題や自己変革を基に心の動きを綴ってきましたが、時代に光を灯すべく、世の中を少しでも幸せに映す「心の窓」をここに辿り着いた方へ提供していきたいなと考えてます。(2019年8月30日)

変化の中

このごろ、

「こうあらねばならない」っていう縛りから開放されていて、とても楽だ。


信仰生活もほとんどやってないんじゃないかってくらい力を全然入れていない。
自然に任せている。


10日前。

先週の木曜に重荷を下ろすと決めてから、随分変わった。


さらさらと生きている。


関心を持ったものに自然に打ち込み、音楽をよく聞くようになった。


気になる人に連絡したり、会って優しくしたりした。


ごちゃごちゃと考えることが性に合わない感じがして、深遠な思考をする気にもなれない。



人との関わりがそれとなく円滑になっている。


よく話しかけられるし、
それを自然に受け止めて、自然に笑っている。



いらっとしたら素直に怒るようにもなった。
これはちょっと不思議だと思った。


今までは怒りを外に出すまいとして、内側にしまいこんでいたけど、思考の中に閉じ込めた怒りは増幅し、やまびこのように長く響き続け、心を不調和にした。
このごろは増幅する感じがない。


たぶん怒りを出したことに対する自己弁護がないからだ。


自己弁護のための怒りには不当な部分があり、更なる自己弁護を要し、怒りのループに陥ってしまう。っていうインスピレーションがきた。勉強になる。

突発的に起きた怒りをどう受け止めるか。
早い段階で自分の間違いを受けとめ、未熟を反省し、許すことができれば、自己弁護のループにはまり込むことはない。


怒りは自然に出るものだ。
不完全なのだから不調和も起きる。
だから反省によって許しの機会が与えられている。


不完全であることを恥ずかしいことと思わずに、ごく自然なこととして受け止められるようになったから、今とても軽くて楽なのだと思う。


今のこの感じはまだ慣れない感覚で、本当にこれで良いのだろうかと疑いたくなるくらい今までと違っている。
なので、まだまだこれから分かってくることがあると思う。


理性では大丈夫か?と思う部分もあるけど、気持ちはとても穏やかで、引っ掛かりがない。


静かなんだけど、今までで一番大きな変化の中にいる。


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