心のスケッチ  佐々木大記

信仰者が日々体験している心の変化を随筆や詩を通して描いてます。34まで会社員でしたが、真理探究中心の生活を作りたかったので頭脳労働をやめ、現在は宗教と哲学を学びつつ、幸福論をテーマとした児童文学を執筆している清掃員38歳です。これまで自分の心の課題や自己変革を基に心の動きを綴ってきましたが、時代に光を灯すべく、世の中を少しでも幸せに映す「心の窓」をここに辿り着いた方へ提供していきたいなと考えてます。(2019年8月30日)

解放

もっと自由に


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ここ一ヶ月くらいの間に、はっきり言って別人になった。
これが自分だと思っていた個性や生き方、考え方は、自分自身を守るための分厚い殻のようなもので、本当の自分ではないことに気がついた。
脱ぎ捨てて初めて気づいた。なんてでかく分厚い抜け殻だろう。これが偽我か。
自分はひたすら道を求める修行者なのだというイメージを持っていたんだけど、違っていた。
本来の自己を目覚めさせるために光を与え続ける必要があったのだと思う。10年ほど修行僧のごとく求道の日々を歩んできた。
これからは求めるよりも与える人生を歩まなければ何も満足がいかない。真理を一つ悟ったところで、他の人や世の中に喜びを与えることなくば幸福感を得られることはないだろう。
自分を目覚めさせるためとはいえ、随分きゅうくつな生き方に追い込んだように見える。
自分自身が歩んできた生きかたなのに、今となっては絶対に同じような生活をしたいとは思えないし、できない。
それだけ自分で作った分厚い殻を叩き壊すために必死だったのだろう。
一ヶ月前までの自分を振り返って本当に思う。
「これは別人だ」


別人だった頃を振り返るとけっこう苦しかったんだなと思える。
音楽や映画や酒などの娯楽は現実逃避やストレス解消のため
信仰は罪滅ぼしや不安解消のため
っていうつもりは全くなかったんだけど、そういう何かの埋め合わせ的な考え方が深層意識にあったことが今は分かる。
今は音楽も映画も酒も信仰も、全て喜びに基づいて探求し、楽しんでいる。
やりたいからやっている。
だんだん毎日ただ生きているだけでも楽しくなってきた。
これまでは生活の糧としてやっているだけで、全然興味もなかった仕事ですら、最近は楽しくなってきていて、何が楽しいってこともないんだけど、機嫌よく働いて人の役に立ってお金稼げるってなんか凄くラッキーなんじゃないかって気になっている。

今こうして言葉にしているうちにどんどん嬉しさが高まってきている。
この生きる喜びを表現したいって思う。

こんなふうに

Kids' Song Gets Transformed Into Incredible Rock and Roll - YouTube


このごろ10代20代の頃のように音楽と共に生きている。
あの頃は音楽を聴いていなくとも、常に頭の中で何らかの音楽が流れていた。
今久しぶりにそんな状態にある。

生きる中でいろんなつまづきを繰り返すうちに、誰かに迷惑をかけたり傷つけたりしないよう、自分を抑制するようになっていった。
良くも悪くも好奇心の赴くままにいろんなことに手を出すタイプだったのだが、そんな危うい自分をどこかで恐れ、封印するかのように心の修行に没頭してきた。
純粋な探究心もあったけど、その影には自分に対する不信や不安感があった。この影の部分は慈善活動に傾倒するタイプの人によくあるものなんじゃないだろうか。
表側は光でふたをしているんだけど、ふたの下には解消されない後ろめたさがしまいこまれたままでいる。だから幸せじゃない。充実していいはずなのに楽しめない。
隠し持っている不安や不満が他者からの評価を求め、拭い切れない虚栄心を生み続ける。
本当はやりたいことじゃないのに、他者から評価されそうなことをやろうとしてしまう。
評価を得られないと他者を貶め裁くことで自分を持ち上げようとする。
自分は悪くない。
自分は間違っていない。
一生懸命に自分の振る舞いを正当化しようと自己弁護する。
自己弁護が必要な日々は幸せじゃない。


自分で自分を信じて認めてやることができれば、虚栄心も自己弁護も必要なく、ただ生きているだけでその喜びを受け取ることができる。
かつて邪悪なるものに翻弄されて制御できなくなっていた自分は本物の自分ではないことを学び、信じるべき本来の自分、仏の子としての永遠に輝ける自分を認め、信じきることにした。
信じてふたを外した。
「修行し続けていなければならない」というとらわれを捨てた。
本当の自分自身を固く信じている今、邪悪なるものに翻弄された偽りの自分を恐れる心はない。
故に、虚栄心も、自己弁護もなく、自分の人生を楽しむことができるようになった。
物語の世界を探求し、音楽を愛することを、逃避ではなく「魂の糧」として、心から肯定することができるようになった。
忘れていた生きる喜びを、今自分の人生に取り戻すことができた。


自分の身に及んでいる毎日を愛することができる今、過去もすべて輝いて見える。
すべては生きる喜びを、魂の歓喜を知るために許された、
大切な一つ一つだった。


僕が今見ているこの世界には驚くほど美しい音楽や物語が溢れ、豊かな愛に満たされている。
悲しみや怒り、苦しみ、あらゆる一時的不幸を突き抜け、永遠の世界が見えたとき、すべては愛と祝福に導かれている物語であることを知るにいたる。

僕もまた地球を豊かな愛で満たし、乾いた魂を潤す、主の物語の語りべの一人として生きていきたい。



いろいろ書いたけど要はこういうことだ。

Easy Listening Piano Girls Get Nicely Shocked - YouTube
真実の喜びは言葉だけで表現できない。
だから音楽が好きなんだ。


今日も本当に良い一日だった。
この記事が書けて良かった。

酒飲んで寝よう。
今日よりもっと素晴らしい明日がやってくる。