心のスケッチ  佐々木大記

真理探求作家の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学「ジル」を電子書籍出版で連載開始。http://pr4.work/3/jill(10/24)

自由

熱中症に注意と言いつつ、運動会の練習をする意味が良くわからない。
「やめりゃいいのに」と普通に思う。
体壊してまでやることとは思えない。
そもそも運動会って軍隊の真似事のようなもんなのに左寄りの教育現場でやり続けられてるのは変じゃないか。
国歌斉唱に起立しない人たちの主張と相反するイベントをやり続けているのは、国防軍は否定するが革命のための自前の軍隊は持ちたいという左翼の潜在的な願望の現われなのだろうか。
皆手放しで運動会を楽しい行事として受け入れているようだが、僕自身はあまり好きじゃなかった。とくに練習。
足をそろえて行進する練習とか最高に嫌いだった。
生徒がいっせいに整列し、綺麗に同じタイミングで足踏みをやめないと、なぜか必ず全体責任にさせられて、なぜだか行進を最初からやり直させられていた記憶があるが、あれは一体なんなのだろうか。
「綺麗にそろうまで帰れないぞ」とか、「一人のせいで皆が迷惑する」だとか、当然のように言われ、その脅しに従わざるを得ない状況に幾度となくさらされるわけだが、あれは独裁者にあこがれる左翼教師の自己満足でしかないと思う。

仕事に関しても同じように思うところがある。
天候に逆らってまで働かなくてはならない状態に多くの人があるわけだが、職種によってはそんな無理しなくても良いやり方があるはずだ。この辺に社会のあり方としての伸びしろがあるんじゃないだろうか。
僕はここ数年毎年熱中症になりながら仕事するのが普通になってた。予防しようがなんだろうがなるので、軽度にとどめつつ仕事をしていたけど、今年はもう良いやと思い、ひと夏の間日中は働かないことにした。
これは執筆活動に専念するための措置でもあるけど、いざ仕事を減らす段取りを終えてみると、自分がフリーターであることの利点を正しく生かせている実感がものすごく湧いてきた。
生まれてこの方一度たりとも正社員になりたいと思ったことがない人間なので、かなり偏った考え方を披露しているのかもしれないけど、この暑い時期に一日中拘束されて全然悟っていない上司に行きたくもない二次会で酒を注ぎ、行きたくもない三次会でキャバクラに付き合わされるなんて(←似たようなことが過去にあった)地獄過ぎる人生をあえて選択するってどういう状況なんだろうか。
毎週4日間は夜11時の新橋駅を通勤で使うのだが、泥酔した会社員の壊れっぷりは結構激しい。駅前で鬼ごっこしたり、力尽き道端でねたり、用を足したり、階段を転げ落ちそうになりながら下ったりと、かなりスリリングな光景だ。
そこまで酔っ払う意味が分からないのだが、普段の抑圧ぶりを察するに余りある。
「暑いから働くのやめよう」なんていうつもりはないが、働き方や運動会のあり方を考えて新しいやり方を編み出す会社や学校が出てきても面白いとは思う。

とにもかくにもこの国の伝統的な息苦しさはどうにかならないものだろうか。あらゆるものが硬直化していて新しいものが生み出されにくい窮屈な環境にあるんじゃないだろうか。
自分自身もまた多くの囚われの中にあって自由になりきれていないのだと思う。過度の抑圧によって新橋で暴れる会社員たちのように、そろそろ日本も自由が行き場を求めて暴れだすころあいかもしれない。
僕自身暴れるが如き内なる自由の精神に翻弄されて生きてきたようなところがある。それは無理な抑圧によって自制心の欠如など、ゆがんだ形で発露していたが、最近は「こうあらねばならない」みたいな抑圧から自分を解放したおかげで非常に安定し、創造的に人生を建設している。他の人を害さず世界の繁栄に寄与するための自由を選べる社会を作りたい。人間の本来の自由性が輝く時代に向かうために、僕は生きていきたいと心から思う。
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