心のスケッチ  佐々木大記

真理探求作家の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学「ジル」を電子書籍出版で連載開始。http://pr4.work/3/jill(10/24)

筋トレがやめられない

先週の月曜あたりからなんとなく筋トレをやりだしている。
腕立て5回レベルから初めたくらいなので、本当に気合いゼロからのスタートだったのだが、毎日続ける内にやめられなくなってしまった。筋トレ直後にご飯を食べるようにしたのが習慣化の一因となったようで、食事を取るときは必ず筋トレをしなくてはいけない空気になってしまった。
時間かけたくないし、あんまり頑張りたくもないので軽めにしてたのだが、軽めの内容なので妥協したらヘタレという感じがするし、毎日必ず腹は減るのでやらざるを得ない。なんだろうこの”やらされてる感”は。
生きて飯を食い続ける限りやめられないループに迷い込んでしまった感じがする。
まあ悪いことはほぼ何もないので良いんだけど、飯のたびにお膳を目の前にしてフンフン良いながら腹筋やら腕立て伏せやらをすることになるとは思っても見なかった。
犬ぞりレースの犬が筋力増強のためにトレーニング直後に食事を与えられているのを前にテレビで見てたので、それにならってみたのだが、「鍛えざる者食うべからず」という観念が日々の食事にうっかり付加されてしまった。LINE辞めて犬ぞりレースの犬に感化されてと、私は一体何処へ向かおうとしているのだろうか。
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今自分が大事にしようとしているのは直感のような本来人間に備わっているオーガニックな潜在能力なのかもしれない。
直感と言えば、10代の頃をふと思い出した。
実家には目覚まし時計を使う文化が無く、母親ががみがみ言いながら朝子供たちを起こすか自力で起きるかどちらかで目覚めが行われるのだが、そのおかげか僕は自分で起きたい時間ぴったりに目を覚ますことができた。前日寝る前に何時何分に起きようと決めて、時間ぴったりに起きることができた。ためしに秒単位で起床時間を決めてみたら、そのとおりにぴったり目覚めることもできた。
また、違うエピソードになるが、親戚が営んでいる魚屋で週末や夏休みを利用してバイトをしていたことがあったのだが、わかめや貝など、量り売りの商品を計量器にかけて100グラムとか200グラムの皿を作って店頭に並べていたのだが、それも1グラムの狂いも無く自分の感覚で盛ることができた。
時計や計量器といった道具によって正確な時間や分量を知ることができるようになっているわけだが、その気になれば直感などの潜在的な力で事足りる機能って案外多く眠っているんじゃないかと思う。いろんな機能をコンパクトに持ち運べるスマホが今やマサイなどの少数民族にも普及するほどで、人類の必須アイテムになっているが、人類が歩んできた技術進化の歴史って、五感を超えた第六感以降の能力を知恵の結集によって追いかけている歴史なのだと思う。スマホなどの端末はいずれチップとして体内に組み込めるほど軽量化し、非物質化していく流れにあるが、結局それって霊的能力への憧れが生み出している進化なんだと思う。それは便利は便利なのだが、便利だけを追求していくと、そのうち五感以下の基礎能力すら技術に頼り出すようになるんじゃないだろうか。それは身体に障害を持つ方の助けになる進歩として現存しているものも多くあるが、一方で人間が本来有する力を放棄していく流れを作るものであるならば、それは進歩ではなく退化や堕落を意味することになるだろう。努力によって人間性を成長させていくことが人生の醍醐味であり、楽しみであり、幸福に繋がっていくことだと思うんだけど、便利が優先された結果、いつの間にか技術の奴隷になって全然幸せじゃない世界にたどり着くことだってありえるし、そうなってしまっている一面も現代にはあるんじゃないだろうか。

人間に備わっている能力や霊性が一部技術化していくことによってあらゆることがスピーディーに処理され、時間や空間が凝縮されて余暇が生まれること事態は悪いことではないと思うが、その余暇をただただ便利さを消費する時間にしたり、一人の世界に引きこもるための鍵とするのではなく、人間性を解放し、よりすばらしい芸術や文化や霊性の高みを生み出すために使われるようになれば、技術文明の進歩は人間にとって成功であったと言えるようになるだろう。


習慣化してしまうと不思議なもので、以前の筋トレしない生活って、わざわざだらしなく生きていたように感じられてくる。悪しき習慣にしても然りで、飲酒やタバコ、パチンコなど、もともとは無くても平気だったはずのものが、なくてはならないもののように”いつの間にか思い込まされている”ことがある。スマホもそうだろうな。
習慣って下手すれば一生続くもので、人生に影響を及ぼす部分は必ずあると思う。それがスパイス程度のものになるか、毒薬並みのものになるかは個々の習慣によって異なるとは思うが、善き習慣を持つように心がけることで人生に善き彩りを加えていくことができるなら、少し見直してみる価値はあると思う。

犬ぞりの犬が僕の今後の人生にどう影響を与えていくのか不明瞭ではあるが、オーガニックな潜在能力を引き出す一助として何らかの善い流れを生み出せれば幸いである。