心のスケッチ  佐々木大記

信仰生活において起きる心の変化や動きをスケッチしています。心の変化後に起きる現実の変化や奇跡といった結果よりも、「どういう心の変化がきっかけで自己変革をできたのか」という原因にフォーカスした描写を試みつつ、あれこれ自由に綴っています。要は信仰に基づく自己変革の実況中継と日々のあれこれです。

今気付きたい愛と孤独の問題

身近に人が沢山いる事を忘れた人々が、一人きりで悩んで苦しんでいたり、人と人との繋がりを忘れ、世間と分断された家庭内でDVや児童虐待などの犯罪を起こしたり、便利で気楽で孤独な社会のひずみを日本は今経験している。

新潟方面を大きな地震が襲い、避難所で寄り添う人達の映像を見て思ったのだが、孤独社会のひずみが拡大していくことに対する警鐘を鳴らす意味でこうした大きな地震や災害が起こされていることもあるんじゃないだろうか。


17日月曜日に見たテレビ番組では、別府にハマる外国人に密着した、別府での温泉めぐりの様子が放映されていたのだが、その外国人を温泉に連れて行くために街の人々が協力し合って食事もそっちのけで、地元別府の為に、地元別府を愛してくれる外国人の為に、できる限りを尽くす人々の姿が映されていた。
外国人は「別府は町全体が家族のようで、自分も別府の家族になりたい」との理由で温泉名人の称号を目指して88箇所の温泉を巡っていた。両親が離婚し、母子2人で生きてきたからこそ、尚のこと人と人との繋がりに価値を見出して、何度も日本の別府に足を運んでいたようだ。


先週テレビでチラッと見たが、ずっと一人で暮らしていて、誰にも見向きもされない腹いせに、他人の家の飼い猫50匹位をさらって殺したっていう男性の事件が報道されていた。

別府ではまず起きないことだろうなと思った。
児童虐待もそうだが、人と人が繋がり合って支え合う社会には、それそのものに犯罪を抑止する力がある。法律や監視カメラなどの環境的な対策によって抑止していく効果もあるとは思うが、それ以前の問題として、人間同士の愛の不足が不幸を招き、社会を窮屈で不自由にしていっていることに目を向けるべきではないか。


3.11のときの事を思い出すよう促される夢を見た後、悩み相談の現場を目にしたが、そこで苦しんでいる人は、皆おしなべて孤独の中にいた。
僕が今この世界で目にして心に残しているのは、孤独の闇に対してどう光を繋げるかというテーマなんじゃないだろうか。


「孤独」というものは、簡単には見えにくいようになっていて、気づく頃には何かしらの「ひずみ」として現象化してしまっている。それは児童虐待などの事件や、個人の悩み苦しみ、最悪の場合戦争や災害といった形で多様に現れているのだが、これが現象として「見える化」する以前に根っこにある「見えない孤独」と闘わなくてはいけない。それは、社会のあり方として正すべき部分が大きいとは思うが、スタート地点の個人個人の問題意識を啓蒙する事は、個人から始められる事だと思う。


テクノロジーが人同士の繋がりを拡大しているようにも見える時代だが、仮想の友達と本当の友人の区別を曖昧にしていっている部分もある。
吉本の闇営業事件だって、きちんとした繋がりであったなら犯罪グループに大切な先輩を関わらせるようなことになるはずは無かっただろう。
便利な道具が本当に大切にすべきリアルな繋がりを補完せず、形式的なものに留め、実質分断する流れの加速装置になっているとしたら、その使い道を考え直すべきだろう。


最近LINEを辞めたのだが、かえって人との繋がりを考えさせられる流れが起きているような節もある。

先週は道端で小学校時代の同級生にばったり会ってダイレクトに”繋がった”(笑)。まるで夢でも見てるかのように普通に現れた。聞けば2年前からお互いに気付かずに同じビルで働いていたらしい。気づかないまま2週間後に退職するところだったが、とりあえず来週無事に飲みに行くことになった。

また、ネット上の悩み相談という形で、孤独の中で苦しんでいる人に繋がり、愛を与える経験をさせて頂いた。


なんのために他の人がいて、彼らと出会い、繋がる機会がこの世で与えられているのだろうか。
同級生と偶然の再開をした瞬間のお互いの歓喜は強烈だった。
いつもと同じ一日が始まろうとしている会社員の彼と、今日も一人で仕事を片付け一人で執筆し、一人で一日を過ごそうとしているフリーターの僕が、一気に青春時代に引き戻される。お互いに今付けている仮面が壊されて、今しか見えていなかった現実に亀裂が入り、記憶の通路をこじ開けて、遠い昔と同じ空の下に今いる真実を思い出させた。
どこでどんな仮面をつけていようとも、俺たちは俺たちでしかいられない。
いつの間にか、仮面の自分が本当の自分であるかのように錯覚しているんだけど、見失ってはいけない本来の自分があるんだって言うことを、あらゆる事件や現象や災害を通して、思い出させようとしているのかもしれない。

痛ましい事件や、甚大な災害にそのような意味付けをなぞらえる事を「不謹慎」と捉える人もいるとは思うが、それは肉体生命よりも大切なものがある事を理解しない人間の、見識の限界なのだと思う。
あらゆることから謙虚に学ぶ姿勢を失ったら、本当に大切なものを気付かせようとしている、神様の見えない愛を受け取ることはできなくなる。


人と人が寄り添う事で、助け合えるありがたさや、他人が存在していることの喜びを実感できる、別府のように天国的な世界を作りたい。
そして孤独を乗り越えた仲間たちと温泉入ってタイムラインに投稿したい。


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今回の地震では怪我人だけで済んでるようなので正直ホッとした。ホルムズ海峡の件もそうだが、この延長上に何が起こりえるのかを忖度し、人としても社会としても未来に対する姿勢を正すべきときなのだと受け止めたい。