心のスケッチ  佐々木大記

真理探求作家の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学「ジル」を電子書籍出版で連載開始。http://pr4.work/3/jill(10/24)

眠りから目覚める変容の種

18年前だと思う。
学生時代に某有名百貨店で深夜清掃のバイトをしていた。
その当時一緒にいた十数名の清掃チームの中に服飾の専門学校に行ってる人がいたのだが、その後その人は東京コレクションに参加するブランドのデザイナーとして活躍するようになったと、話に聞いていた。
ところが僕自身は彼の仕事に関してあまり関心を持つでもなく、18年前の印象で彼のことを理解し続けていた。


2週間前にばったり再会した小学生時代の同級生と昨日飲んでいて、その人の話題が出た。
友人が上京したのは15年前だったろうか。
当時彼は仕事が決まっていない状態だったので、僕がそのとき世話になっていた清掃会社に紹介して一緒に働いていた時期があったのだが、その会社自体は百貨店時代の先輩が立ち上げた会社でデザイナーとして活躍しているその人とも繋がりが微妙にあったので、その人の話題が出たのだが、「検索してみるといいよ」と言われたことが、今日起きてからもなんとなく頭に残っていたので検索してみた。
teatora.jp
↑検索結果の内の一つです


僕の印象では「怖い先輩」っていうイメージしかなかったし、近寄りがたく、あまりまともに会話もしていなかったので、自分の主観的な印象だけで18年間上出さんのことを認識していたし、検索して、今の彼を知るまでは変わらず「仮に会うことがあっても怖くて話せないだろうな」っていう感覚が彼に対する精神的なつながりを支配していたのだが、いくつかインタビュー記事を閲覧するうちにその印象は崩壊し、「怖い」とか「近寄りがたい」といった当時の表面的な理解が消え、「なんか、普通に話せそうな気がするな」っていう感覚に自然に変容した。
例えるなら、まるで大嫌いで見るのも嫌だった食べ物がいきなり普通に食べられるようになったかのような、「あれっ?」っていう感覚的な変化だ。(上出さんのことを嫌っていたわけではないですよ)


興味深い変容だと思った。
もしかしたら上出さん自身は僕が思うほど当時と人間性が変わったわけではないのかもしれない。
僕が勝手に抱いていたイメージが偏っていることは当時の僕であってもある程度分かっていた位なので、実際に18年間で上出さんがどれだけの自己変革を成し遂げているのかは知る由もないが、僕自身の認識が改められたことで、彼に対する心の中での接し方が、僕の自己内部で明らかに全く異なるものに変化したのだ。
そして瞬時に逆の立場に置き換えて考えたのだが、僕自身が自己変革をし、「この人実はこういう人だったんだ」という印象を他人に持ってもらえたとしたら、新しい印象に基づいて僕に関わる人たちは僕への接し方を変えることが可能になる。
そして、僕への接し方を一番最初に変えるのはおそらく「自分自身」だろうなとも思った。
思うに、自分が自分に対して抱いている印象は、自分自身の扱い方に反映されてくる。
どのような場に身を置き、どのような人と付き合い、どのような仕事をし、どのような振る舞いをし、どのような生活習慣をもつか。
これらはすべて自己認識の現れであり、自分自身をどう価値付けして、どう扱い続けるかによって変化(または硬直)していくものなのだと思う。
その意味で僕自身は随分自分を低く値踏みしてしまっているところがあるなと思った。
数々の悩み相談を見るにつけても、「自分には価値がない」と思い込んでいる人はかなり多くいるし、自分にはこの程度の仕事しかできないとか、この程度の収入しか見込めないとかいう考え方に囚われている人はかなり多いと思う。
人間は習慣の生き物なので、日々どういう場に身を置いて、どういう人と関わり、どういう仕事をしているかといった「環境」によって自己イメージを固めていく性質を誰もが持っているが、イメージは自由なので変質させることも可能だ。


僕自身はこの6月でメインの収入源となっていた清掃の会社を退職し、執筆に専念する生活に7月から入っていくことで、作品と同時に「作家」という自己認識を作っていくわけだが、その際に必要な考え方はブランドイメージを作ることだと考えている。
ただ単に自分の心の問題として自己認識を変化させるのではなく、より外向きに「どういう印象を持っていただくか」という観点がものすごく大事になる。
「人間中身が大事」とかいうけれど、その中身を定義する要素として表面的な印象は大きな割合を占めているだろうし、ほとんどの人間は他人の「中身」なんていちいち知ろうとはしないで、いいねボタンをポチるものだ。
印象だけで人の評価が定められて拡散されて、実態と違った人物像が一人歩きするといったことはいくらでも起きていることだし、それがネガティブな印象の場合、一人歩きどころか暴走して果てには炎上するのが地獄領域に近いこの三次元世界の常でもある。
自分自身18年間固定されたイメージによって上出さんを見る目を曇らせていたことからも、「他者にどんな印象を与えているか」と言うことに対して注意深くあることは、危機管理意識としても持つべきだろうし、自分自身が勝利していくために積極的にデザインしていく「武器」として認識すべきポイントなのだと感じている。
その意味で「自分自身をどう扱うか」ということに対してもっと慎重にならなくてはいけないなと思うにいたった。


今の自分に対する自分自身の扱いは、結構雑なところがあるし、誰もやりたがらないような仕事を平気でやらせていたりもする。
それは優先すべき仕事以外の精神修行にどう比重をかけていくかという課題があって、自分なりに選んでたどり着いた道ではあったのだが、自分自身を外に向かって露出していくフェーズにある今、「印象」というものが自分自身や他人に及ぼす力を考慮するなら、これは是が非でも現実レベルで変えていかなくてはいけないし、そこを避けて内面の充実だけで世の中に光を灯していく仕事には限界があると感じてもいた。
悩み相談なんかをしていても、相手に安心感を与え、言葉に説得力を持たせるだけの印象を持ってもらうことはとても大事だと感じることが多い。
どんなにすばらしい真理を知っていたとしても、パッケージがボロボロだったら誰も手にしたいとは思わないだろう。
悟りをいかに一般化するかという課題にとことん注力することは、本当に世の中に対する愛の思いがあるならば避けては通れない課題であるし、大宇宙にある光を虹色に分光していく力と一体となる慈悲の行為であると思う。
自分の個人的な欲求ではない。愛故の発展への願いが必然的に現れて来る。
その上で「印象」をデザインするという考え方が果たす役割は、本当に大きなものなのだと教えられたような気がする。


自分自身の悟りが高まり、愛の思いが強く働くようになるに連れて、「こんなところでこんなことに時間を費やしていてはいけない」という感覚が強くなってきている。
まだ継続している仕事も二つほどあるし、8月からメインの収入源となる新たな仕事も決まっているけれど、変わらざるを得ない心の環境が出来上がってきている。
きっとこれから先の数ヶ月(もしくはもっと速い期間)で必然的な変容が起きてくるだろう。
それだけの大儀を見つけてしまった以上は動かざるを得ない。
逆に言えば、変わりたくてもなかなか変われないときって、自分自身が変わることに対する大儀を充分に見出せていないから、「許可」を降ろせていない状態なのだと僕は感じている。
今「許可しちゃった感」があるし、上出さんに対するイメージの変化と一緒に自分も変化した感じがある。
それは、昔の彼を多少なりとも知っていたから可能な変化だと思うのだが、「まったく自分とはかけ離れた世界で生きている関係ない人」ではなく、「自分と同じ時間を過ごしていた同じ人間」がどのように変化しうるかということを確認し、自分ごととして受け入れられたからなのだと思われる。これは自分の未来に対する捉え方自体が変わった瞬間に起きた自己認識の変容なのだろう。


一つ不思議だなと感じるのが、18年もの間、上出さんに関心を持たなかったことだ。そもそも僕自身ファッションデザイナーを目指していたし、もっと早くに彼の実情を知る機会があっても良かった筈なのに、なぜ「今」だったのだろうか、とその意味を感慨深く考えてしまう。
彼に対する感覚レベルでの変容を通して一つの真理に出会うために、18年という時間を敢えてかけていたのだろうか。
そういえば、このごろ10代の頃に好きだった漫画家やミュージシャンを通して気づきやインスピレーションを得ることがやけに多くあるなとも感じていた。
霊的なタイムマシーンでも手に入れたんじゃないかというくらい、過去にぶっ飛んで今必要な何かを見つけて次に進むっていう感じの働きかけがかなり多い。


あと2年で40歳になるけど、ある程度年月を経ることで分かってくることもあるんだなとこのごろ強く感じている。
10年20年という単位で自分を見つめていると、自分の魂が一体どんなプロジェクトを担って何を表現しようとしているのかと言うことがだんだん分かってくる感じがして面白い。


これまで先が見えない苦しさに随分悩まされていたけれど、さまざまなことを学びながら少しずつ色んなことが見えるようになってきた。
若い内に成功したいという気持ちが自分を焦らせて苦しめていたけれど、なかなか人生が前進していかない苦しみの過去も、今になって自分の悟りとして芽吹いてくれている。
これはすごくありがたいことだ。


僕は自分の人生において、真理から遠く離れた生活をしていた頃を、無駄な時間だったように捉えていたところがあったのだが、「実際はそうじゃないんだよ」っていう気づきを今投げかけられている。


あなたの主はいついかなる時もあなたのそば近くにいて、いつかこの日を思い出すときが来ることを信じて導きを与え続けていた。
どんな苦しみのときも、どんな悲しみのときも、全ては人類を光に導くために計画された大いなる自己犠牲であった。
蒔かれた種は長い時を経てねむり続けていたけれど、あなたが真理を吸収していく中でゆっくりと発芽のときを迎えることが出来たのだ。
私はあなたに無駄な時間など一時も与えたことは無い。


そんな言葉をいくつものタイムトラベルを通して今授けられているんじゃないだろうか。
長い時間をかけて大きな器を作ってきたのだと思う。
それは簡単に成功していたら小さく出来上がっていただろうし、僕の魂のプロジェクトの性質からして望ましいことではなかったのだろう。
自分自身に対する印象が変わり、扱いが変わるっていうことは、自分の過去に対する見方も変わるっていうことを意味している。
だから遠く離れた過去に戻って時空を超えた学びを回収し始めているのか。
確かに、このタイムトラベルはGWあたりから始まっているのだが、執筆生活を心の景色の中心に持ってきたのも丁度GWだった。
なんとなくロジックが分かってきた。


この霊的な流れは加速させるべきだろう。
自分自身に対する扱いを改めて、今までガラクタ扱いしていた過去からきちんと学ぶべきことを拾い上げていこう。
そして、変化した自分に出会う多くの人の未来を幸せにしていきたい。
それはとりもなおさず自己救済の道でもあるし、他の多くの人に還元していくことによる「自己犠牲の完成」を目指す道でもある。


自分の価値を認めなくてはならない。
自分を自分の所有物と思い込んでしまう傾向を改め、仏弟子としての人生を与えられ、生かされ、任されている「崇高なプロジェクト」そのものなのだと認識できるまでいきたい。
それが僕の霊的人生におけるプロ意識のあるべき姿なのだと思う。


上出さんの制作にかける強いこだわりに触発されていろいろ気づかせてもらった。
自分の預かり知らぬうちに貴人と出会い、別れていたのだなと思うと、本当にありがたい人生を歩ませてもらっていることに感謝させられる。
そして、今この気づきにたどり着くために6年ぶりの同級生との偶然の再会が仕組まれ、与えられていたのだと考えると、本当に奇跡の中に自分が生きていることを実感せざるを得ない。

与えられた人生に対する深い感謝と共に、それに報いることのできる自分を何が何でも創っていこうと強く思う次第である。


にしても…
上出さんの服普通に欲しいな。