心のスケッチ  佐々木大記

真理探求作家の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学「ジル」を電子書籍出版で連載開始。http://pr4.work/3/jill(10/24)

厳しさと救済の心

昨日記事を投稿したあと悪霊におそわれてました(笑)


風邪の症状がだいぶ良くなったとは言え、病み上がり。治りかけの時期を丁寧にケアしないとこじれることが多いので、むりせず横になったら奴らが来ました。
横になってうとうとし始めたあたりで、昨晩YouTubeで見た芸人の話し声が夢のような感じで聞こえ始めたかと思うと、その声が脳に入ったあたりで暴走し出して体を乗っ取ろうしてきた。こういうのは過去何度も体験ずみではあったので、「久しぶりにきたな」という感じで対処した。結構パワーがあるように感じたので、手短に「エル・カンターレラブ」連呼で追い出し、魂の兄弟に来てもらい、祈って体の主導権をなんとか確保。それでも結構しつこく絡んでくる感じだったので、開き直って喧嘩モードに。「やれるもんならやってみろ。かかってこいや。悟らしたんぞコラ。」とやや暴力的な天国思念を放ちつつ、「光をお与えください」と、主に祈ったあたりで、いなくなった。総裁先生も降魔成道を回顧して「最後は人間としての意志の強さ、神の子としての自覚の強さ」と説かれていたが、それに近い気持ちの強さ、自信はあった。エル・カンターレは無敵なので何も恐れることはない。ただ面倒くさいだけ。要は向こうもこっちが弱っているとみてちょっかい出しに来てる感じなんじゃないだろうか。「本気になってばかじゃねえの」くらいの事思われている可能性はあるけど、こっちは一から百くらい教訓を引っ張り出してこうやって再利用する。そしてここから千とも一万とも分からないほどの応用者が生まれるとしたらとても効率の良い仕事になるので、よろしければこちらをぽちりと押していただけると幸いです。
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まことにありがとうございます。



その夜、祈りの後に少し精神統一をしたら、「無念無想」という言葉が浮かんできました。


たとえポジティブな思念であったとしても、波立ちは波立ち。それが付け入られる隙になっていた。三次元的な波動を常々剪定し、風通しを良くしておかないと、そこにチリやホコリが溜まっていき、害虫の巣窟にされることはある。ほんの少しのきっかけさえあればいつでも入り得る。いつも心の鏡を磨き、無念無想にすぐに入っていける状態を調えること。楽しい時間、明るい時間のあとには、静謐な波動に戻すこと。


というような内容。
気持を引き締め、一段も二段も意識を高めるような経験を今得ているのだと思います。


ヒルデガルトとの出会いがちょうど重なっているのも、偶然ではなくすべて繋がっているのだと思う。ヒルデガルドの音楽を聴くことでかなり心が整えられ、あるべき状態に戻すことができる。(前の記事に視聴できるリンクあり)自分の立ち位置はこの世界観なんだと、波動で理解できる。
今までとかなり違う自分になっていく必要性が出てきている。自分自身に対する厳しさを自分で持ち、他に対しては深い愛と許しの心で包み込む。そういう姿勢をもって救済業に臨んでほしい。そんな願いがここ最近の様々な出来事の中から浮かび上がってくる。
心の七割程度は塗り替えることになるんじゃないだろうか。誰の目にも触れず、客観的評価が下ることのない取り組みではあるけれど、根源をととのえることですべてが正されていく。そんな感じがします。
逆に考えれば、根源を正さずにすすんでいくと問題が多発し、そのあとしまつに追われ、大量の時間を失っていくことになる。


たくさんの人の悩みを拝見していて思うのだけど、悩みをたくさん抱えて苦しんでいる人というのは、根源の心の問題に取り組まないまま放置し(無意識に目をそらしている場合も多い)、「悩み製造機」になってしまっていることに気づけていない人がほとんどだ。
目先の苦しみと格闘しながら、自分の心の中にある間違った考え方に基づいて、次々に新しい不幸を生み出し、終わりのない苦しみの世界を作り続けているように見える人が本当に多い。
それも、自分だけでなく、周りの人を引きずり込むような形で。


現実にそういう人たちを見ていると、心の修行がいかに大切なことであるかが深く理解できるし、そういう人たちに手を差し伸べられる法を知る者が、どんどん増えていかなければいけないって言うことに、思い至らずにはいられなくなります。


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自分のみならず他の人の心をも正しく見つめられるだけの力が、必要とされる段階にいる自覚があります。
この頃どんどん高まっている僕自身の知的欲求や、悟りの向上への思いの源泉は、結局のところ「救いたい」という、ただ一つのシンプルな願いと強い責任感にあるのだと思います。
純粋に自分自身を高めたいという欲求もあるけれど、それだけではここまで広く、深く知恵を求めようという強い気持ちにはならないんじゃないだろうか。


真理を学び始めた頃にもあった心境として、ともすれば力自慢をしたがったり、「人から認められたい」というような自己満足的な思いにとらわれかねない段階に今ある感じがしていて、実際にそういう人の姿が数多く目にとまることが多い。それだけに自分に対する厳しい目を持つことは本当に大切なことなのだと、深く深く心から思うとともに学ばせて頂いている。世界は自分を映す鏡なのだとつくづく思う。


人の間違いは間違いではなく自分に与えられている導きなのだと思うように心がけたい。けっこーむずかしいけどね。
そうであってこそすべての人を包み込むような大きな愛と一体となっていけるんじゃないだろうか。
世に少しでも多くの救いと幸福への道をもたらすことのできる人間になっていきたいと、心から思います。
それ以外何もいらない。



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