心のスケッチ  佐々木大記

真理探求の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学を現在制作中。近々電子書籍で第一話を発表予定。(2019.09.27)

今の人生観

なんとなく書き進めていたら今現在の自分の人生観が現れてきました。
面白いか分からないけど、こういう考え方もありなんだと、心を軽くする人もいるかもなーと思う。
今の自分に価値を見いだせずに苦しんでいる時期にあったとしても、大きく広い視野から見た時に、実は得難い魂の糧を育ませて頂いていたことに気づく瞬間ってあると思う。
それは人生のどの時点で分かることか不確かではあるけれど、本当の魂の幸福を学び、得るために、神様は人間にいろんな人生を許しているのだと思う。
神の子である人間は必ず善性に目覚めていくだろうという、限りない信頼と期待と愛によって、今日も一日が与えられ、心の自由を許されて生きている。
どんなにいい加減な昨日だったとしても、どんなに不道徳な昨日だったとしても、そんなことに関係なく、今日が与えられていることがありがたい。


一日の始まりを、無償の愛が日々に与えられていることを実感できる瞬間として生きていきたいものです。

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僕は興味関心が広い方だと思う。
その時々で気になった何かにのめり込んでいく。そして、ある程度のところまで見識を深めてその世界に繋がる通路を開通させたら、元の自分に戻る。
そんなことをずーっとやり続けているような人生で、今のところ何ひとつ身になっていない(笑)のかな。
少なくとも職業的な果実を結んでいるわけではない。
ただ、時間をかけて大きな器を作り続けているという認識は、実は中学高校位からすでにあった。
見ようによっては、中学高校位の思い込みに基づいてそういう人生を辿っているのかもしれない。
何が正解かなんて誰かが判定できるものでもないだろうけど、とりあえず「しっくり」くる生き方はできている。
一度、一会社員としてきちんとした生き方に参入しようとしていた事があったけど、あれほどしっくりこず、心と自分が引き裂かれるような時期はなかったな。
全部捨ててフリーターに戻ったときの納得感、しっくり感、心と自分がドッキングするとまでいかずとも、同じ方向を向き始めた感じは、理屈抜きで幸せだった。
結局、会社勤めしてたのも、興味関心の一つとしてのめり込んで、見識を拡げる試みだったのだ。
思ってもみれば、「スーツ着た満員電車に乗る会社員」っていう生き方って、子供のころから一番なりたくない未来として、「これだけは勘弁」っていう感じで強く思っていたものだった。(実際には楽しかったけど)
ちょうど26歳の誕生日を迎えたあたりから会社勤めをなんとなくスタートするのだが、そこから34歳までの8年間をかけて転職もしながら社会科見学をしていた。
実際にいろんな人と出会い、温かい関りをたくさん頂いているうちに、それが自分の生き方であるかのような錯覚をおこしかけたところで、自分と心の強烈な分離感覚を感じ、会社勤め体験から卒業することになった。
振り返ってみると、それは本当に体験した出来事だったのだろうか、という位、今とはかけ離れたバーチャルな人生で、夢でも見ていたかのようにも感じられる。
会社員になる前はなる前で、それと真反対の反社会的勢力に繋がるような領域で生計を立てていたこともある。今では考えられないような世界に繋がりをもってのめり込んでいた。
広い関心領域で様々な世界にのめり込むことを、この魂は欲していたんだと、今となってははっきり分かる。
おかげさまで、人生で経験するすべての経験が魂を育てるための教育課程なのだという真理を、理屈ではなく、実感として理解している。
この実践的な姿勢が他の人と僕との決定的な違いなんだろうなと思う。


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自分とは何か。
実はそれは職業や肩書に関係のないことで、自分の心が求めている魂の探求課題そのものなのだと思う。
僕自身は一つの人生で様々な生き方を体験し、生きながらにして何度も生まれ変わるような経験を通して「それ」を学んでいるのだと思う。
「それ」の中には様々な言葉を当てはめることができると思うが、中心にあるのは魂の自由性とありとあらゆる立場の人に対する理解=愛なのだと、現時点では思っている。
様々な世界でのバーチャル人生を変転しつづける今世ではあるが、渦が中心に向かうが如く、時間を重ね経験を重ねるほどに、本当の自分に近づいていっている。
現時点で本来の自分が4割近くを占めているとは思っているけど、それは前に進んでいくほどに、「実はまだ2割だった」とか、「いやいやほんの5%程度でしかなかった」というように認識を改めさせられていくものなんだと思う。
そういう意味で、今の自分、今の自己認識に対してあまり執着せずに、いかようにでも流れていけるサラサラした水のような人生観を持っていたいなと思う。
普通だったらこれまで積み重ねて来たものを大切に守ろうとするものなのだと思うが、僕の場合それがほとんどない。
むしろ、「固まったら終わり」という警戒感をもって、生きている。
今のところ職業的な果実は何も結んでいないという表現はしたけれど、心の世界を見る限りでは、すべての経験を「あの世に持って帰れる魂の糧」として永遠不滅の蔵に積み上げてきている。
この心の財産がこれからの実人生において豊かな実りをもたらす資本になることは間違いないと確信している。
遠回りしているように見えて、実は最も大きな器を完成に向けて着々と作り上げて来た軌跡が、これまでの人生の意味なのだろう。
10年前、20代半ばから後半にかけての自分は、まったく何も成し遂げられずに何者にもなれない自分を嘆いていた。
その頃にちょうど仏法真理との再会をし、真理を探究する道を歩み始めたのだが、10年たった今、当時からは想像もできないような自分に生まれ変わることができている。今だ何も成し遂げず何者になれたわけでもないのだが、ゆっくりと歩み続ける亀の如く継続し続けた正しき心の探求のなかで、心をどんどん軽くしていき、徐々に浮上していく気球の如く高く自由な精神への変容を遂げて来れた。
何を持たずとも自分が自分でいることに対する絶対的な自信と幸福感は、なかなかたどり着けないものなんじゃないかと思う。


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ここらへんで、本来の自分として実人生を生きる上での大きな足場というか、港のようなものを一つ作りたいという感じがしている。
それは作家業によって形作られる可能性があるが、それだけにこだわって満足できるタイプでもないし、限られた分類の中に自分を閉じ込めることはできない性質の魂なのだと自覚している。
それだけに「具体化」ということを苦手としているのだが、今後はただ単に関心領域に首を突っ込んで探求するだけではなく、世の中に還元できる形での、「真理価値の具体化」までを含めた人生観を持って、サラサラと流れてゆきたい。


7月15日現在の中間報告までに。