心のスケッチ  佐々木大記

信仰者が日々体験している心の変化を随筆や詩を通して描いてます。34まで会社員でしたが、真理探究中心の生活を作りたかったので頭脳労働をやめ、現在は宗教と哲学を学びつつ、幸福論をテーマとした児童文学を執筆している清掃員38歳です。これまで自分の心の課題や自己変革を基に心の動きを綴ってきましたが、時代に光を灯すべく、世の中を少しでも幸せに映す「心の窓」をここに辿り着いた方へ提供していきたいなと考えてます。(2019年8月30日)

『青銅の法』公案研修を振り返る

今朝の礼拝の際に思い浮かんだ昨年末の旅を振り返っている。
その中で受けた『青銅の法』公案研修について書いてみる。
今一度『青銅の法』を頂いたその時の心を見つめ、今年残り4か月強および、今後を描く力としたい。


「魂の目覚め編」とあるが、解説を見ると「宇宙時代の菩薩への魂の目覚め」とあった。


宇宙時代の菩薩とかいうと、宇宙人信仰を連想してしまう。けど、全然そんなんじゃなくて、地球のみならず、宇宙でも求められる魂の進化とは何かが説かれているのだ。。
これって改めて考えてすごいことだ。。


で、宇宙時代の菩薩に求められる要件は、というと、一言で言えば愛なのだが、愛の定義として、
①受け入れる=寛容(違いと未知を受け入れる)
②一体となる=博愛(共栄・共盛・共育)
③生死(しょうじ)を越える=自己犠牲(献身・気高さ)
以上をもって魂の進化をすることで、「愛と奇跡に満ちた信仰者に新生する」とある。


「宇宙時代の菩薩」だとか、「魂の目覚め」だとかいう言葉はいかにも宗教的な雰囲気があるけど、その教えの中身って、「人間としての成長と幸福」についてなんだなとあらためて思う。
この情報(←あえて身近な言い方をしますが)を「宗教」っていう言葉に対する偏見的なフィルターで遠ざけるのは、すごく損なことだし、ここにタッチできないのはとてもかわいそうなことだと思う。
自分としては宗教っていうフィルターを外した媒体で教えを浸透させつつ、一方で宗教にたいする偏見フィルターをなくしていき、教えと信仰を掴んでいただけるように道を作るのがミッションになると思っている。


ただ、思うのだが、宗教に対する偏見フィルターがある時代と環境だからこそ不動の信仰が立つ面もあるとは思う。
その意味で日本の信者は「強い」ものを持っているし、日本はそういう魂の力を獲得するチャンスに今あるのだとも思う。
故に、今日本で信仰を掴んでいる人は、魂としての誇りと自信をもっと堂々と持って良いのだと思う。


久しぶりに研修の中身全体を振り返っても思ったが、自分自身を褒められる部分って結構たくさんあるんだなと感じた。
去年末に受けて、三か月くらい毎朝この研修資料を振り返る時間を取っていたのだが、そのおかげがあってか、その後今に至るまでの5か月強の時間が「おや?」って思うくらい、研修の中での教えや気づきに基づいて進んでいるように感じられる。
いろんな出来事や出会いや変化があったけど、どれも、『青銅の法』を学ぶカリキュラムとして与えられた導きだったんじゃないかとすら思えるし、その指導に応えて自己発揮し自己変革をしてきた自分を認めることができる。
自分自身を守るために慢心を厳しく戒めることは大事だけど、正当な自己評価に基づいて自信を持つっていうことも忘れてはいけない修行課題なのだと今感じている。
何もしないくらいなら失敗した方がましだと思うし、その中に慢心による失敗もあっても良いんじゃないだろうか。
若い人は特に。

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ちょいと脱線しますが、
自分自身失敗の多い人生だったと思うのだけど、大事なことは失敗しないことではなく、失敗に気づけることだと思う。
自分の非を認めるって実は結構できないことで、真理を学び始めたころは、自分の間違いを見て見ぬふりをしてみたり、何かしら言い訳になる正当な理由をうまいこと作り上げて、反省から逃げていたことを思い出す。
みじめな自分を見つめるのがつらかったのだろうと思う。
しかしながら、自分自身の失敗や間違いをきちんと受け止めないと、違うシチュエーションで同じような間違いを繰り返して、同じように苦しむことになり、全然人生が展開していかないのだ。(これって地獄と同じ構造だと思う)
間違いや失敗を犯さないために学んでいる面もあるかもしれないけど、「それは間違いだ」と気づくよすがとして学び、その時が来たら立て直せるように反省の教えも説かれているんじゃないだろうか。
そう考えると反省は積極果敢な人生を展開していくための、心強い武器だとも考えられる。(ていうかそういうふうな教えがあったような気もする。)
なので、もっと勇気をだして自信を掴んで良いし、自信そのものを追い風を呼び込む磁石としてさらなる飛躍の気流に乗っていかなければ、低い理想に甘んじてそれなりの”現実”に甘んじることになるのだと思う。
今年に入って随分「図太さ」が身についてきているのだけど、でかい失敗に耐えうる自分づくりをしている面もあるのかもしれない。
大きな成功の歯車に乗っていくうえで必要とされる胆力もあるのだろう。


で、話を戻しますが、
今年は『○○の法』の年とかいうけど、その通り今年ならではの魂教育の霊流ってもんがあるのだと思う。
そこに乗っかることで飛躍的に魂を進化させていけるのかもしれない。
「恐るべし法シリーズ」といったところだ。


その点に関しては去年まではボケーっとしていて、全然乗れてなかったんだと思う。
自分の人生の歩み相応にそういう流れに乗ったり乗らなかったりということもあるのだろうか。
日々に説かれる新しい教えについて、随時すべてを学んでいるかと言えば、まったくで、ある意味開き直って自分がやるべきだと思ったところに今力を注いではいるのだけど、それでいて「ついていっていない」という感じは全然していない。
毎日リバティーのニュース(これはでかい)を見たり、うっすら最新情報を取り入れているのもあるが、やはり『法シリーズ』の流れに乗っているかどうかっていうところなんだろうなという感じがする。
(もちろん常々教学もするし礼拝と精神統一もしますよ。)


研修で染み込ませた指針に沿って知らずしらず動いていることに今回気づけて良かったし、改めてハッとさせられるような気付きも多かった。
ここに根を張って伸びていく自分っていうイメージを毎年きちんと持つようにしておこう。

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