心のスケッチ  佐々木大記

信仰者が日々体験している心の変化を随筆や詩を通して描いてます。34まで会社員でしたが、真理探究中心の生活を作りたかったので頭脳労働をやめ、現在は宗教と哲学を学びつつ、幸福論をテーマとした児童文学を執筆している清掃員38歳です。これまで自分の心の課題や自己変革を基に心の動きを綴ってきましたが、時代に光を灯すべく、世の中を少しでも幸せに映す「心の窓」をここに辿り着いた方へ提供していきたいなと考えてます。(2019年8月30日)

善悪を超える視座

乱高下する波長
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調子が調ったと思ってたらまた乱れ、バランスがとれない心にやや辟易しているが、そんな荒れ模様をどこか離れたところから静かに眺めている自分もいる。
心は海のごとく、海面と海の底とではその景色も静けさも大きく異なっている。


図太さと繊細さが共存している心をどう調律すればいいのかまだ掴めていないけど、課題が分かっているってことは、答えに向かっているってことだと思う。
自分で体験しながら掴んでいくしかないことだろう。
安易な方法論にたよって表面的に調ったように勘違いするより、もっと深いところでおきている動きを観察したいと思う。


自分をうまくコントロールできないからと言って、それを悲観的にとらえる気持ちはない。
荒れているようで、静けさがある。
荒れたくば荒れるが良いとさえ思っている。
すべては今必要があって与えられている愛。
自分の未熟さだとか悪想念の影響であるとか、そんな表面的な解釈でははかり知ることができない真実が必ずある。


心の深いところでは、結論は幸福であることを信じて疑うことがないから、静かでいられるのだろう。
一方荒れている浅い部分は、世の中の常識的な思考と結びついている層でもある。
ここをぷつんと断ち切ってしまえば、すべてが静けさの中におさまるのかもしれない。
自分の中に共存できないものの考え方を抱え続けているから、二つに割れるのか。。


自分自身の世界を掴みきれるかどうかっていう問題なのかもしれない。
書いているうちになんとなく見えてきた。
自分の精神的な居場所、ホームがどこにあるのかをしっかり掴むこと。
そのうえであらゆる階層に視野を持って活動するっていう自己確立が正されてしまえばだいぶ落ち着くんじゃなかろうか。
帰るべき場所を間違えなければ混乱することもなくなるだろう。


善か悪かだけではくくれない真実もある。
許し、或いは忍耐という時間的奥行きを、物事を見る目に与えることで、それは初めて見えてくる。
焦ることなく、深い心を見つめよう。

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