心のスケッチ  佐々木大記

真理探求作家の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学「ジル」を電子書籍出版で連載開始。http://pr4.work/3/jill(10/24)

彼らへ

昨日AmazonPrime配信のドラマを見てぽろぽろと涙を流していた。
素直になれない男女がお互いの気持ちを認め合うっていうよくあるパターン。


そう言えば僕は涙を我慢するという機能がないような気がする。
声を上げてまでは泣かないけど、人前で涙を流すことは自然なことだ。
学生時代くらいまでは恥ずかしかったけど、感動をごまかすのって面倒くさいというか。


ただ単に感情のコントロール能力が低いというのもあるかもしれない。
あるいは感性が豊かというか、繊細で過敏とも言える。
ゆえに外部から色んな影響を受けやすいのだが、そのこと自体に対しては鈍感で、思いもよらぬところで傷ついたり、悲しみの世界や怒りの世界、堕落の世界にはまり込んでしまうことが多い。って今気がついた。


子ども時代から振り返ってみるとその通りだなと納得できる。
防護服が必要なところを半袖短パンで歩いてたようなもんだろう。



この頃「過去の自分って異常だったな」と思えるようになってきた。
それだけ今落ち着いて来ているってことだとは思う。
多分診断を受ければ発達障害に分類されるのだと思われる。



色んなことに気が向いて感じ取るため、提示されたものを選択的に集中できず、自分が感じ取って引き付けられたことに集中してのめり込む。


僕の場合は物語。
悲しみであれ怒りであれ喜びであれ、自分の感性が響いた物語に没入していく。
それは友人との会話だったり、漫画だったり、教科書の単語一つから膨らんだ妄想だったり色々だった。


20代頃から読書習慣が根付いたのと、30代前半に自分に興味のない計算ロジックを扱う仕事に4年携わったおかげで、選択的な集中力がかなり鍛えらたものの、それでもまだ人並み以下なんじゃないかと思われる。


生きていて「生きるのってなんだか難しいな」と感じることがしょっちゅうある。
「自分が面倒くさい」と感じることも年に何度かある。


それでも色々な努力の継続の結果ゆっくり成長し続けていて、だいぶ生きやすくなったし、37歳にしてようやく過去の自分の不器用さがよく分かるようになってきた。


人並みのことができるようになるまで時間がかかる半面、他の人が気づかないような発見をあちこちでしながら生きているタイプの人間なので、周りに合わせながら生きてくのに人一倍の努力と忍耐と優しさを要してきたんじゃないだろうか。



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それはすべて人知れず起きている内面の苦しさであるゆえ、他者との比較のしようもなく、自分だけが不甲斐ない人間であるかのように思い続けていたのだけど、どうやらそれは正当な評価ではないようだ。


したがって今一度、正しい基準に照らして自分で自分を認めてあげた方が良いのかもしれない。
今も決してうまくいってるわけじゃないけど、操縦の難しい個性に苦しみながら、よく頑張ってくれたなと、心から思う。
だから、過去の自分が毎日繋いでくれたバトンを今日、感謝の思いで受け止めてあげたい。


あなたは今そのままで充分にすばらしい。
毎日を生きてくれた。
今日に繋いでくれた。
諦めなかった。


たくさんの助けに支えられながら、この透明な個性に、智慧や、他の人の幸せを願える心や、神仏への信仰を、静かに静かに注ぎ続けてくれた。
ありがとう。


受け取ったバトンを見つめて思う。
随分頑張ってくれたなー。
ちょっとやそっとのことでケチつけるのはもう辞めざるを得ないのではないかと思える。
むしろ、自分がほめてやらなかったら誰にもほめられないまま、間違いなく彼らは忘れ去られていく。


感傷に浸るとかではなく、きちんと感謝してあげたい。
彼らの名誉と自尊心の回復が、今の自分に課せられている役割として現れてきているんじゃないだろうか。


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