心のスケッチ  佐々木大記

真理探求作家の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学「ジル」を電子書籍出版で連載開始。http://pr4.work/3/jill(10/24)

自分を奮い立たせる

自分の人生の理想というものを、個人的な望みの中に閉じ込めて小さくなっていた。
「自分のための人生」だと思っていると、どうしても責任感が湧いてこない。
「自分は神仏の描かれている理想の一部分に対して責任を負って生かされている」という自覚が宿ろうとしている、あるいは、宿っただろうか。
自分の人生に課せられた責任をどうしても果たしたい。
そんな思いが強く湧き上がってきている。


そういう気持ちはこれまでも漠然とはあったけど、今は、関係ないことに時間を使いたくないという気持ちが明確にある。
でも、現実はそういう状況にないのが悔しい。
この悔しさを解消するまで、真正面から受け止め続けよう。
ごまかしたりすることなく、思い通りにいかない惨めさも大切な本当の自分の気持ちなのだ。
これをごまかして、志を忘れたように気楽に生きていく気にはとてもなれん。


ぼくは男性なので男目線での考え方になるのかもしれないけれど、自分がこの人生において如何なる責任を負うべくして生まれ、生き、死んでいこうとしているのかを知ることが、「自らを知る」ことであり、「使命を知る」ということでもあるのだと思う。
そして、その責任とは、自分を中心とした人生観の中からは充分に見いだせない。
自分中心の人生観から見出せる責任は、「自立」の段階だろう。
「責任」は自立した自分と他者との関係性の中で見出される。
そして、自分と神仏と他者との関係性の中で見出される、より高次なる責任が「使命」となるのではないだろうか。
命を授けて下さった元なる存在を認めずして使命感を本当のものにすることは決してできないだろう。
自分を中心としたものの考え方ではなく、神仏の願いを中心とした観点から自分自身を日々に生かしていきたいし、それが本来の在り方なのだ。
現実にとらわれて取っ組み合いをするではなく、神仏の理想実現のために、現実を奉仕させるのが、人間の使命なのではないだろうか。


他の多くの人々の本当の幸せのために役に立ちたい。
娯楽的な喜びではなく、真に精神的な喜びを与えられるような毎日を心から望んでいる。
なんとか現状をぶち破ろう。
喜んで蹴破って乗り越えてゆこう。
言葉で自分を導くくらいが精いっぱいか。
いや、言葉こそ最高の武器なのだ。
必ず道を開いていけるはずだ。


作品を作ろう。