心のスケッチ  佐々木大記

真理探求作家の日々のひらめきを綴ってます。愛と幸福をテーマにした児童文学「ジル」を電子書籍出版で連載開始。http://pr4.work/3/jill(10/24)

ユーモアに追いかけられている

親戚の中でもひと際気さくな叔父が夢に出てきた。
お葬式のときでさえさわやかに下ネタを言えるくらい愛嬌のある人。
奥さんの親御さんのお通夜を手伝うことになり、寝ずの番も急に頼まれ、快く引き受けたらしい(僕の父も巻き込まれて一緒に一夜をすごした)のだが、「無理なお願いしちゃってごめんね」という一緒に交代で寝ずの番をする直系親族の叔母さん(年齢70代)にむかって「○○ちゃん(その叔母さんのこと)俺今日コンドーム持ってきてないけど大丈夫?」などと軽口を叩いていたらしい。
5年ほど前に僕の叔母(叔父の姉)が脳梗塞で倒れたときに、久しぶりに病院で会ったのだが、そのときも終始適当なことを言い続けていた。
ほとんど高田純次状態で同席していた従兄弟も「すいません。もう面倒くさいです。」とナチュラルに突っ込みがきつくなっていたのが面白かった。
そんな人だけど、叔母が倒れてすぐに駆け付けて、世話をしてマッサージをし続け叔母のマヒしている半身を生かしたのも叔父だった。
ぼくが子供の頃遊んでもらった気さくな兄さん。


夢の中では街中の宿の二階で会っていて、同じ部屋には5人くらいのサラリーマンがどこかへ飲みに行こうとしている。
叔父はお酒が好きなので、当然僕と二人、どこかへ飲みにいくのかと思いきや、
「明日仕事だし、疲れるから帰るわ」
と言い、帰っていった。
信じられないことにギャグの一言も言わず。
宿を後にする叔父の後ろ姿はなぜか上が白のタンクトップに下がかなり短めの紺の短パン。
トランクスの裾がはみ出て見えていたのが印象的だった。
そのまま振り返りもせずに雑踏に消えていった。


なんだこの夢
と思っていたけど、要は昨日匙を投げた「ユーモアを尊べ」というお題を学ぶために見せられのだ。
まことに恐ろしい夢だ。
子どもの頃から大好きな憧れの叔父からユーモアを取り上げたらこんなに貧しくなってしまうのか。
ある種の瞑想体験に近い夢だなと思う。
執着を捨てる瞑想とかいろいろあると思うけど、ユーモア喪失瞑想を深く体験するとこうなるのかも。


今朝仕事の面接に行ってきて思ったけど、印象で損をしているところが自分にはだいぶあると思った。
マジメで良い人っていう雰囲気だけ伝わっているような気がするけど、それって「魅力」ではないのだ。
かといって変に面接用の自分を演出するのも違う。
過去演技的な面接をしようとして失敗したことがあるが、そういうのは誰が相手であってもすぐ見透かされるし、求められてもいないし、自分も終わった後嫌な気分になるだけだと分かったのでそういうことはしなくなった。
演出ではない日常のフラットなレベルでの印象そのものを変えた方が良いのだろうな。
せっかく自分の中身を詰め込んだのに、自分を生かす場に送り出すチャンスを狭めてしまうのはもったいないことだ。
「もったいない」という言葉は時折り他人に言われる言葉で、この一言を聞くたびにいつも「今の自分はだめなんだ」と自己卑下的になっているのだが、「だめ」なんじゃなくて「良い」からもったいないのだということを自分自身にもっと説得すべきなのだ。
「ユーモアを尊べ」とか意味わからんとか思ってたけど、大事!
もともとそういう要素は持っているのだから表に分かりやすく出してあげるのも、他の人に対する愛があるならできるはずじゃないか。
というかそういう最低限の礼儀というか外向きの自己プロデュースをしないで、充分な仕事の広がり、光の広がりを実現することができるのだろうか。
一部の分かってくれるファンにだけ開示しているのではなく、もっと広い世界と自分をつなぐためのツールとして、ユーモアは大きな武器になる。
幕末であれば剣。
現代は笑い。
「剣禅一如」ならぬ「陽禅一如」。
あえて崩すなら「笑禅一如」。
笑いのイニシアチブをとるために教室で火花を散らしていた中学時代を思い出す。


うーん。
だんだん心が変わってきた。
もっと光の当たる場所を目指さないといけないような気持になってきた。
せっかく面接行ったけど、なんか違う方向性が見えてきてるな。


まさか高田純次な叔父に導かれるとは・・・。
ユーモア恐るべし。