心のスケッチ  佐々木大記

真理作家の日々のひらめきを綴ってます。電子書籍児童文学「ジル」http://pr4.work/3/jill 随筆note「本当の自分に目覚めるための物語」https://note.com/ssktmnr/m/m69f95d8d6351 を執筆中です。

ソウイウモノニワタシハナリタイ

14:56
月刊誌
「信仰の純粋化
ー『天照大神の「信仰継承」霊言』講義ー」①
読了。


非常に大事な論点で、というか、自分がここのところずっと考え続けていた「自分を小さく」という部分そのものだった。
HSUから入局するエリートの考え方はある意味意外だった。


ただの就職感覚なのか。
実際そんな雰囲気のキャッキャした若い職員さんもいるけど、もしかしたらまんまガチで普通の人もいるのかもしれない。
出家して出世を考えられるってなんか変だよな。


自分は自分。
て思うけど、違いがすごい。
上野アメ横で便器こすりながら自分で道を開こうとしてるんだから、エリートにはおそらく理解不能な奇人の部類に入っているのかもしれない。(正しい見解ではある。)


一言に「信仰」と言っても各人の内面のものなので、信仰心にも個性がある。
ある程度の集団の中で均一化される部分もあるかとは思うが、若年層というか、学園カルチャーのなかでのその力学はあまりうまく作用していないのか。
入局するくらいの人がこうなら、他の子たちはどうなってるんだろう、とか思うところはある。


ぼく自身、支部活動に参加する中で、もともとの自分の信仰感覚が集団の中に「寄っていく」ような感じになって、うまくバランスが取れなくなっていた。
これは自分の本心なのか、それとも流されているだけなのか、分からない状態で進むことがどうにも気持ち悪かった。
要は三宝帰依における自己確立ができていなかったのだ。(今もそうかもしれないけど)
自分の弱さというか、性質も関係していた。
ものすごく繊細で影響を受けやすい人間なのだということを最近まで充分に理解できていなかった。
宗教としては集合想念を作って大きな善念で戦うのが当然なのだが、見失ってはいけない自分の役割というか、使命の発見がなおざりになって、どんどん過ぎていく時間と集団の中に、大切な何かが埋没していこうとしている感じ、危機感のようなものはあった。
それがはっきりとはしないままではあったが、そのままではいけないと思い、出世が見えていた当時の勤め先を辞めて、一人の時間を増やし、本当の自分のありかたを本格的に探し始めたのが4年前。
34歳だった。
一生フリーターで結婚できなくても構わないという気持ちだった。


やはりそのくらいの年を重ねて社会経験をある程度重ねる中で揉まれないと、本来の心は出てこないものなのかも知れない。



自分が社会人になる頃はどうだったろう。
たしかに成功したいとか思ってはいたけど、教団を踏み台にしようなんて発想は毛頭無かった。
帰依の対象であるのだから聖職者と言えるだけの人であって欲しいと心から願うし、自分自身も恥じることなき信仰者として純真さを追い求め続けたい。
その一途な姿を見るだけで心が洗われるような、そういう人になりたいと思っている。

15:43


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