心のスケッチ  佐々木大記

真理作家の日々のひらめきを綴ってます。電子書籍児童文学「ジル」http://pr4.work/3/jill 随筆note「本当の自分に目覚めるための物語」https://note.com/ssktmnr/m/m69f95d8d6351 を執筆中です(^^)

日本とは

台風19号リーディングを拝読した。
表カバーがとても神々しいです。

日本という国とその国を治める為政者、祭祀を司る神官の長、国民に対する神々の思いがいかなるものであるのかが語られている。
この国は「神々の国」であり、人間のものではない。
自分たちが神の子としてこの地を預かっているということを忘れ、人間的な支配欲や自己顕示欲、自己都合による目先の生存欲求だけに従って、自分たちの立場や役割を利用することを神々は許し給わない。
今世界に対して日本という国がいかなる責任を果たすべきであるかを議論することもなく、一国の都合のなかに閉じこもり、何らの意見も信念も示すことなく、生き延びようとしているかにも見えるが、情けも誇りも失ってまで何を守ろうというのか。
この世界において日本が「日本」として存続するべき意味というものを失っていくならば、他国によって侵略されるまでもなく自壊していくだろう。
日本人はこの世界に数多くある国の一つとして日本という国にたまたま生きているくらいの意識であってはいけないのであって、自分たちが神の国に生まれたるものとして背負うべき責任というものを自覚しなくてはならない。
この国が二千年以上の歴史を有する世界にただ一つの国として存続し続けているのは、「たまたま」だとでも思っているのだろうか。
神々にその存続を許されずして何百代にもわたる人と時代を越えた精神の継承というものは叶うわけがないのだ。
その精神とはこの国の国民として生きる上で守るべき信条であり、真心であろう。
ひとりびとりがその心をもって生きていてこそ神々に守られるべき国としての大義が立つのではないか。
そうしたものによって守られてきたということを忘れ果てて、数十年という自分たちの小さな人生で得た現代的な知識だけで生き延びられると考えているだろうが、そのような狭いものの見方は傲慢を通り越して愚かであることを知らなければならない。
この国においていかなる心が良しとされて継承され続けてきたのかということにこそ、日本としての世界に誇るべき精神的宝があるのであって三種の神器はその象徴に過ぎないのだが、象徴そのものの物質的貴重性しか認めようとしない風潮があり、その精神をもっとも尊ぼうとする気風はどこにも見受けられず、本来示すべき精神的なる遺産を持ちし国民国家として世界にその姿勢を示せないことは甚だ情けないことである。

令和という時代はその成立の経緯からしてごく人間的な都合によって始まった人間的な時代ともいえる。
その意思決定がどのような責任をもたらすのかということについて現されているものを、責任を負いし立場にあるものは謙虚に受け止められるのだろうか。
神の存在も神の意志も否定したまま盲目的に前進し続けようとすることが、どれだけ空しいことなのかを、自らの痛みを通して知らなくてはならないのだが、神々の心から遠く離れている現代的な人間にとってはそれすら叶わないのかもしれない。


敗戦以降日本人と神々との間の信頼関係というものが薄れていった歴史があるのではないかと僕は思っている。
ssktmnr.hatenadiary.jp

今では考えられないことではあるが、戦前の日本という国は天皇を中心とした信仰心あふれる国民国家でありました。
以下の写真は7年前明治神宮にてその成り立ちを展示されていたものの一部ですが、2012年に初めて明治神宮に参拝したタイミングで目にしたもの。
日本人の心根の美しさに直接触れたような感動があり、涙をこらえながら参道を歩いたことを覚えている。
日本とは何かを初めて知らされたような、衝撃の展示内容でもありました。


明治天皇が御病気になられた当時の国民の様子
f:id:ssktmnr:20191102183137j:plain
上:現在の皇居前広場で祈る人々の姿。祈りは深夜にわたり、7月25日、宮内省は電燈を終夜ともすことを決定。
右下:御病気の発表(御容態書)に見入る人々。御容態書は46回にわたり発表された。


お見舞いに参内するたびに僕らを驚かせたものは、七月末の炎天下、二重橋前の砂利の上に坐って、幾百人、否、数千人であろう人々が、天皇陛下の平癒を祈る姿であった。
これらの人々は、決して、誰の命令や指令で集まったわけではなかったことはいうまでもない。
秩父宮雍仁親王殿下『皇族に生まれて』)


「群衆徹夜尚ほ去らずして追々増加の状況なりしは国民の如何に沈痛せしやを知るに足る」
原敬内相の日記より)


皇居に向かって最前列の人々が祈り終わってその場を立ち去ると、次に控える人々が静かに前に進み、声低く御平癒の祈りを捧げる。群衆の低い祈りの声は、海の波の上を渡る風の響きを髣髴(ほうふつ)とさせた。
(ベルギーの新聞「ル・タム」の特派員レポートより)



神宮創建に寄せられる国民の心
f:id:ssktmnr:20191102183150j:plain
右:小学生がお小遣いをためて奉納した木を運ぶ様子。
左:しめ縄を張り、「明治神宮献木」の高札を掲げての搬入も多かった。


明治神宮に植栽する木は、その大半を献木でまかなうべく全国に告示された。申し込みは殺到し、鉄道で、船で、馬車で、献木が続々と運ばれた。
十万本以上の樹木が明治神宮に植えられ、原生林を思わせる鬱蒼たる大森林が、忽然と東京に出現することとなった。


全国各地から馳せ参じる若者たち
f:id:ssktmnr:20191102183206j:plain
青年たちの勤労奉仕も神宮の造営に多大な貢献を果たした。
物価高騰や第一次世界大戦の勃発により労働力が充分に確保できないため急遽計画されたが、実際に各府県に呼びかけると申し込みが後を絶たず、のべ十一万人の若者が境内の植林や参道づくりに尊い汗を流した。



これが、一般的な日本人の姿であったのは遠い昔の話ではなく、ほんの100年前のことなのだ。
これだけ純真な国民性というものが、この短期間に自然に風化して消え去るなどという事は到底あり得ないことで、意図的に消し去られた背景があったことを認識することはとても重要なことだろう。
米国が日本に実施した戦後の軍事戦略と、それに乗じた左翼主義者たちの暗躍の結果として、日本人はその魂とも言える国民性を数世代に渡って奪われ続けているのだ。
これは空襲や原爆投下による民間人の大量殺戮に匹敵しうる深刻な国家的損害と言って良いだろう。
この美しい姿を奪われ、完全に忘れ去られようとしているが、この国家としての精神的遺産を過去のものとして捨て去って、新しい千年二千年という未来を築いていけるだけの大儀や尊ぶべきものを、新たにこの国が掲げることができているのかと言えば、そうではないことは確かだろう。
ほんの10年先さえも見通せないような場当たり的というか延命的な国家運営がなされていて、いかなる精神に則って未来を作るのか、はっきりと示されていないのではないだろうか。
www3.nhk.or.jp

10月の所信表明演説を見ても、やはり筋の通ったものを語り切ることができないでいるように見受けられる。
混迷を極める時代において未来を自分たちで決めない限り、自信というものが言葉に宿ることはないのだと思うが、そもそも日本という国がいかなる国であるかのコンセンサスもかなり曖昧になっているので、目の前の生活がすべてであるかのような政治思想が蔓延していくのかもしれない。
「価値観の押し付け」と称して精神的なるものを排除しようとする風潮ともっと闘って、精神的な国家日本というアイデンティティを取り戻さないと、どこにもたどり着けないまま漂流していくしかないことは明白である。
ssktmnr.hatenadiary.jp

二千年以上にわたって継承されてきた国としての精神を今一度見つめなおし、尊ぶ日本人であるならば、いかなる天災あるは戦争による破壊が国家を襲ったとしても、そこに残るものはある。
その意思によって何度でも蘇ることは可能だろうが、今国民を襲っているのは、寄って立つことのできる希望とすべき精神の喪失だ。
それを敗戦後奪わせたままにしたツケを今清算できないでこの一世代を超えてしまったとしたら、おそらく日本人としての本来の精神を取り戻すことはもうできなくなるだろう。
ssktmnr.hatenadiary.jp

過去の伝説や神話であるかの如くどんどん風化しようとしている失われてはいけないものを、今取り戻そうとしなくてはいけないのだと思う。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ
にほんブログ村


僕にはどうも日本に対して熱く思う心があるらしく、止まらなくなる。
ssktmnr.hatenadiary.jp
過去の記事を振り返って日本についての思いが乗ってるものを読んでいると、逆に学ばされるようなところもある。
ここ数日精神的に低調なのだが、自分で書いた過去記事で喝を入れよう。