心のスケッチ  佐々木大記

真理作家の日々のひらめきを綴ってます。電子書籍児童文学「ジル」http://pr4.work/3/jill 随筆note「本当の自分に目覚めるための物語」https://note.com/ssktmnr/m/m69f95d8d6351 を執筆中です。

幽霊を見るか

病院勤務が始まって数日が経つ。
泊まり勤務なので、呼び出しがかからない夜中は控室で仮眠もするのだが、自分の場合うとうとしていると霊的になってしまうこともあり、普通には寝れない。
救急病院だし同じフロアに霊安室とかあるし、そういう噂も聞いてはいたけど、毎回何者かの気配を察知する瞬間が訪れる。


ベタだけど控室のドアをノックされる音で目を覚ましたりする。
夜中の3時頃に誰も来るはずはもちろんない。
寝ないで意識をはっきりさせておけばそんなことは経験せずにすむと思うんだけど、夜はやはり眠い。
環境的にしょうがないかと割り切っている。


多分、気にすればするほどおかしなことを感じるようになるのだと思う。
仕事する分には夜中の暗い病棟を歩いていても気持ち悪さとか怖さとか意外なほどに感じない。
人によっては「見えちゃって怖い」ということで退職する人もいると聞いていたので、自分としても少し構えていたのだけど、実際に勤務してみてけっこう普通なので安心している。
死んでるか生きてるか
というだけの違いだと思えば、フラットな気持ちで過ごせるものなんだなと実感している。


ただ、仕事的にはさほど疲れないけれど、体が妙に重くなることはあった。
何がおきてるか分からないところもあるので、今までより真剣に経文を読誦するようにしている。
健康じゃない人が集まる場所だし、それなりに重いエネルギー磁場なのだと思う。
そういう場の影響というものも知らずに受けていたりするのだろう。
おかげさまで信仰生活に身が入る。


空き時間が多い仕事なので、読書をしたり映画を見たり、文章を書いたりと、自分の時間を過ごしている。
静かで人の出入りもなく、集中できる環境なのでありがたいのだけど、こういう仕事ばかりやっていたらいけないのではないかという気にもなってくる。
もう少し社会にもまれて苦労しなければいけない部分はあるんじゃないかと、自分を追い込みたくなる症候群が働きたがる。
『鋼鉄の法』第二章でもそのように説かれている部分はあるけれど、もんでばかりいてもしょうがないというか、もまれるべきときは然るべく現れてくると思う。
今与えられている環境を生かして自分にしかできない新しい「何か」を生みだしていきたいと思っている。



映画も本もすきだけど、自分で何かを書くことがとても好きだ。
頭に浮かんだイメージを言葉にして書き続けているだけでも楽しい。
人に見せるための文章と違って、何でもありにしているのでいろんなイメージを自由に働かせることができる。
頭で考えないで、イメージを眺め続けながら手を動かしていると思わぬ閃きと繋がっていく感じがある。
10年前から日記という形で毎日思いをノートに書き続けていたが、ここニ年半くらいはストップして別のことに時間を割いていた。
ちょくちょくメモ書き程度にノートに考えをまとめたりということはしていたので、ノートを持ち込んで気が向いたら何か書いたりしようと思っていたけれど、まっさらなページを見ていたら文字で埋め尽くしたくなってきて、書いた。


文字を手書きするってだけで楽しい。
自分の体調や心境が文字に現れるのも面白い。
心身が乱れているときに整った文字を書くことはまずできない。
それにパソコンと違って霊的な指導がかかりやすい感じがする。
パソコンも慣れて来るとその辺のチューニングがだんだんにできてくる感じがあるのだけど、やはり手書きの方がやりやすいようだ。
手書きだと共有できるものにはなっていかないけれど、これは鍛錬の一つだと思って習慣化した方が良いような気がする。
ストップした当時は書くことそのものに過剰に執着していたところがあったけど、今は当時と意味合いが違ってきているのでまた再開してもよかろう。
筋トレのように何事も日々繰り返し鍛えることで研ぎ澄まされていく。
やらなければなまくらになっていくばかりだろう。
そういう観点からいえば、芸術的な筋肉とでもいう物を今後鍛えていきたいと強く思う。
何かを生み出したいという気持ちが強くなってきているので、出来不出来に関わらず、たくさんの生命を生み出していきたい。
それが自分のごく自然な姿なのだと言えるような姿を思い描けている。
ノートの中にもそんなことを書いていた。


常に生み出すことを意識している人間にこれから目覚めていく。自分の考えが追いつかないほどに生み出し続けるうちに出て来るものが調っていく。創造は主の光を頂いた者としての自然な発露。考えるという行為は創造にそぐわない。上位の真理を自らの思考で明らかにしようとする野心が謙虚さを遠ざけて光をはじく。自分の思考力を過大に評価するばかりに受け皿をわざわざ小さく狭めてしまう。与えられている本来の心の自由性をいかに解放するかが自由な発想をひきつけるのであって、着想の妨げになる思考力は創造の時においては小さく控え、人間的な力を大きくしようと思わないこと。むしろ空っぽであることが尊い。リラックスしながら思いの磁力をいかなる性質のものにしていくかというところに心を配る。何かに倣って調えた創作ではなく、完全オリジナルなもの、純粋な創造を成功させているということが、何よりも尊い。自然の発露は人間知による創作などではなく、神の息吹なのだ。既存の評価基準に照らして検証すべきものではない。


などと言うことが書き残されている。
その通りに従って行動できたら良いのだが、人の目につくものを作るとなると、評価というものを気にした調整を施したくなってしまう。
結果として、違和感が生まれて結局最初の閃きに近い形に落ち着く、というパターンが多い気もするけど、創造において妨げとなっているのが自分自身の人間的な迷いであることは確かだと思う。
閃いたままにドンっと出してしまったほうが良いのかもしれないとは思うものの、「こんなふうに作ってみたい」っていう自我による願望と着想の隔たりがあると葛藤が始まってしまう。
もっとも最近は創作活動そのものをサボって止まっているだけなのだが。


ただ、何度か出てきている「自然の発露」でありたいとは思っているし、そうなると信じている。
その姿勢を大切にするなら、自然に出て来るようにコンディション調えなさいよという話なのだが、そこは自分に対して甘い部分だなと思う。
基本的にダラダラしているなと我ながら思う。


ノートにも書き残してあったが、鼓動や呼吸と同じくらい自然に生み続けているような状態に近づいていきたいと思うように今なっている。
それを理想として近づいていけるよう日々に「今日できる何か」を積み重ねていく。
その始まりとして、「書く」というセッションをしばらく続けてみようかなと思う。


新しい職場で思いがけず発生した形ではあるが、これが次のステップへの突破口になっていくかもしれない。
心構え次第では幽霊ばかり見えて仕方がないってこともあり得るのだろうけど、自分がそれに負けないだけの磁場を作ることもまた可能なのだと思う。
自分はあくまでもここから希望を見出していこうと思う。


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