心のスケッチ  佐々木大記

真理作家の日々のひらめきを綴ってます。電子書籍児童文学「ジル」http://pr4.work/3/jill 随筆note「本当の自分に目覚めるための物語」https://note.com/ssktmnr/m/m69f95d8d6351 を執筆中です(^^)

未来は僕らの心の中

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昨晩知的障がいの男の子を預かって今日の昼まで二人で過ごしていたのですが、注意力散漫な彼もこの作品には惹かれるものがあったようで、二人でじっくり見てました。


絵本のような世界感で美しかったです。普通の映画と違って芸術性が高いのでBGMのような扱いで何度も繰り返し浸りたい出来栄えとなっています。こういうの作ってみたい。
寝る間際に真っ暗の部屋にシーリングライトで映しっぱなしにしてあっちの世界へ旅立つ感じ。
あっちの世界ってどこ?ってところを作品別に差別化して魔法の世界や豊かな世界とか、美の世界だとかを寝てる間に探訪するのさ。

寝る間際の子守歌や絵本の読み聞かせってとてもマーフィー的な営みだし個人的に研究したいとも思うのです。
最近いろいろ小難しいことを勉強する間際の気分転換に子供向けの映画やドラマやアニメにどっぷりつかる時間を無意識に取っていて、戦争学だの近代史だの国際戦略情報研究だのとなんだかめんどくさい方向にアンテナが伸びていくと同時にKIDS系カルチャーに深く分け入っていこうとしているかにも思える状況に陥っています。
先週は『魔法のレシピ』というキッズ向け海外ドラマにはまり込み、三日か四日ほどそっちの世界に没入=バカンスしておりました。
ほんの出来心で味見したが最後、シリーズ全部を踏破し終えるまではほぼノンストップでした。
タイトルから察する通り魔法の力が働く様々なレシピを中心に物語がどんどん展開していくわけですが、そのストーリーにはまり込んでいる自分自身が魔法にかかっているような感じを味わえるのがたまらんでした。

てな感じに外出自粛を要請されるまでもなく仕事以外ではどこにも外出せずに勉強するかバカンスするかって感じに今年はずっとなっていましたので、特に変わることなく通常モードでどこにも行かない日々を継続するんだろうなと言う感じになっています。
一応救急病院に勤めている身としての実感を申し上げておくならば、最近の病院はわりと暇です。
僕自身は去年末から病院勤務を始めているわけですが、2年ほど前からそこに勤めている同僚からしても、今年は例年のこの時期に比べてかなり暇だということです。
皆意識高めになっているからインフルエンザにかかる人も少ないのではないか、あるいは、病院に来ること自体も含めて外出を避けている結果なのではと噂し合っています。
通院が少なく済むよう薬の処方量などを調整しているのかもしれませんが、僕が知る「世の中」の中でも病院はとても落ち着いています。
騒ぎすぎだとか緊張感が足りなすぎだとかいろいろな意見が飛び交うご時世ですので誰かの憶測の材料になるような中途半端な話は慎みたいと思うのですが、悲観も楽観もせずに粛々とできることをしていけばよいのではないかと思います。
今のところ食料品も懸念していたほど不足していない様子ですし、そもそもお腹のぜい肉としてすでに無意識レベルでの「備蓄」は完了していましたので心配ございません。
去年あたりから痩せ型の自分がなぜこんなにプヨプヨしだしているんだろうかと疑問に思っていたのですが、これも「お導き」に違いありません。(こういうのを悪しき常套句と言う)
買ったはいいが読めていない本がそういえば十数冊・・・これもこの時のためのお導きか。
部屋が汚かったらそれもお導き扱いして嬉々としてお掃除に励んだに違いないでしょう。
そんな都合の良い人間ですよ僕は。
でも都合よく何でも解釈しているうちに、だんだん本当に都合の良いことしか起こらなくなってくるから不思議なのですが、「思いの先行性」というところを考えれば納得しても良いことなのかもしれません。


この傾向性は去年の6月あたりから本格的に培った特性で、ちょっとやそっとのつまづきや失敗や堕落や妥協にも動じずに自分を信じ切る力をいろいろな葛藤の中で身に着けていたような気がします。
完全に自分に責任があって、自分の脇の甘さや意志の弱さが出て出て仕方がないっていうような状況がずーっと続いていた時期があったのですが、開き直って「本当の自分はそんなに悪い奴じゃない」っていう一点を立脚点にして、現実を無視して「精神の真実」「魂の真実」だけに目を向け続けていたことが思い出されます。
普通に考えればそれって超ご都合主義なわけで、それを貫くのは本当に困難なことでした。
だって現実を無視しちゃうんですからよっぽどですよこの人。とか自分で思いながらも無視。己の仏性を信じ切れるかの精神的な戦いの日々の中で小説を書いていたことを思い出します。


この話って何が言いたいのだろうかとふと疑問に思ったのですが、要は「現実は関係ない」てことです。
やっぱりこの世界は「思いの世界」であって、目の前に起きていることは過去の思いだということです。
であるならば、自分たちに本当に必要な希望やあるべき姿というものを考え方として心に宿すことで思いの世界を作り変えていくべきでしょう。
いえ、それは今まさに起きていることで、これは世界の生まれ変わりにおける一幕なのかもしれません。
この世界は今確かに変わろうとしている。それは誰もが認めることでしょう。
その変化にあらがって今まで通りの生活を維持しようと躍起になっているのが私たち小さな人間の姿なのかもしれません。
信じられないような現実に目も心も奪われてしまうのは致し方ない面もありますが、現実は思いにおいては過去なのです。ゆえにとらわれるべきものではありません。
未来を描けるかどうかという、人類の心の在り方そのものが問われているところでもありましょう。
現実はただの老廃物のようなもので実のところ根源的未来には関係がないのです。
人間の体は腸から作られていますが、肌が腸に影響を与えるものではないように、未来という世界創造の根源にある思いは本来現実に干渉されるものではありません。
人間の執着によって現実を思いの中にとどめてしまうがゆえに最悪が最悪を生み続けるかのように展開してしまうのでしょう。


すこし突飛なお話になってしまいましたが、僕自身がこの考え方を100%つかめたら無敵だなと思いつつ、自分に言い聞かせるつもりで書き残してみました。
現実世界は大揺れに揺れ動いていますが、いずれにせよ一生自分の人生であることに変わりはありませんので、より良き思考によってより良き未来の世界を生み出していきたいものだと強く思う次第です。


ssktmnr.hatenadiary.jp
今なんとなくこの記事のことをふと思い出したのですが、日ノ本の心こそ世界をあるべき未来へと導く唯一の「思い」であり、世界精神とも言うべきものなのかもしれませんね。
最後の最後にすべりこんできた感が否めませんが日本神道系スライディングで今日のところはどっとはらいにいたします。


前半の話に戻りますが、心に曇りのすくない子供の心に世界のあるべき姿を託した方がより未来の引き寄せは速いかもしれませんね。
我ら心汚き大人たちよりも子供たちの方が未来という思いの世界にコミットしやすいんじゃないだろうか。なんてことを記事を読み返してふと思いました。
神道系スライディングで締めと見せかけてマーフィー系がかっさらう結果に終わりました。


どっとはらい